長岡市の柿川・内川の河戸(川の港)、越後長岡の繁栄の基の場所を訪れてみた。

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柿川下流は内川と呼ばれ上流は信濃川にも繋がっていた。

その流れの中に6つの河戸があったとのこと。

その付近を撮影してきました。




 

 

専門家が見れば「違う!」と言われるかもですが図書館で見つけた位置をマップ化してありました(上図)のでそれに基づいておおよその写真です。

 

信濃川との合流点

●上記写真とは反対岸(柿川の)からのグーグルストリートビュー

信濃川から逆流しないようにだと思いますが柿川の数m上流に水門があります。

 

安哲河戸

●付近のGストリートビュー

上記写真の橋の上から柿川上流方向

 

 

重右衛門河戸

●上記付近Gストリートビュー

 

呉服河戸

●この付近のGストリートビュー

 

裏四ノ町河戸

●この付近のGストリートビュー

ここは平和の森公園になっていますね。最も有名な河戸付近かもしれません。

 




 

渡里町河戸

●この付近のGストリートビュー

上記写真の真ん中の川の中の平地は河戸の跡地でしょうか?

 

上田町河戸

その付近のGストリートビュー

ここは信濃川へ接続する新川の上流にあります。

新川は今のスーパーウオロクの裏の道でありそこから信濃川に繋がっていました。

上記写真のあたりは見えないので写真の奥に見える橋からこちらを望む

そういうストリートビューです。

 

その他長岡城附近?

以上は、河戸の記述は見ていませんが長岡城に近い柿川のような気がします。

私はよく知らないのですが船が場内に入らない場合、この位置辺りが殿様の乗降場所だったのかもです。

参勤交代での江戸からの帰途、長岡藩主牧野氏は六日町付近から長岡まで船で帰っていたとか。

「下に~、下に」の大名行列は帰りには無かったようですどうやら。

商人の町は形式を嫌うように思います。

この付近の柿川のGストリートビュウ (橋の上から)

 

これらの河戸が長岡の繁栄を導き、さらに長岡は鉄道の中心にもなれて発展しました。

長岡はまずはおそらくこの河戸のおかげで今日が有ります。

でも、その事が柿川沿いのどこにも史蹟として残されていないようなのです。

長岡藩だった旧長岡市の地域の人はその真の功績を顕してもらいたいものです。ぜひ。




 

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