行基が創建し空海が法脈を伝えた岩沢山不動寺

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小千谷と柏崎を結ぶ魚沼街道(銀山街道・高田街道・小千谷街道)の玄関口小千谷港を歩いて小千谷の始まりの谷附近がそっくり真言宗であることに気付き、港や峠道の土木工事や、労働者救済に行基が動き、その後を空海が引き継いだのではないかとというまとめで岩沢山不動寺の存在を初めて知りました。

そこで、岩沢山不動へ、行ってきました。

その前に、行基と空海の岩沢山不動寺との関係。

712 行基、千谷川真福寺を創立

735 僧行基が神木で不動明王を刻み岩沢山不動寺を創建

810 空海巡錫、岩沢不動寺の勝隆に法脈を伝えた

※法脈とは仏法を師から弟子へと伝える事との事(コトバンク> デジタル大辞泉 より)

行基は法相宗で、その法相宗(ほっそうしゅう)は衰退しており、空海は自らの真言宗に改宗していたのではないかと思います。魚沼街道起点附近の真福寺(やはり行基が創建)と同じく今では真言宗智山派となっています。行基設計事務所を空海設計事務所が引き継ぎ吸収みたいなもの?

 

小千谷中心街から向かいます。

山の上に水田地帯そこから信濃川に落ち込む崖に雪峠が有ります。

下の写真の最も高い部分です。

 




 

↓雪峠から川岸に降り左折し信濃川に架かる魚沼橋を越えて岩沢地区に入ります。

残念ながら案内板が無く少し迷いましたが何とか発見、お寺と神社が向かい合っています。

 

↓これが行基が創建し空海が法脈を伝えた岩沢山不動寺です。

↓彫り物に象さんもいます。立派な寺院ですね。

↓隣りに芝居小屋らしきものがあります。

この構造って長岡市の越路地域の神社の構造にそっくりです。

原型はここだったのでしょうか?

↓とにかく立派な寺院です。長い渡り廊下で住職の住む家屋に繋がっているようです。

渡り廊下の下には小川も流れていました。

↓石仏ほか様々なものがあります。

↓様々な植生の池が2つあります。

↓境内にはかなり巨大な杉の木、これについての記事「不動寺のスギ」を見つけました。

↓信濃川・雪峠方向に有った塔と石碑

↓向かいにあった五由里神社中越地震でここに移築されたそうです。以前は奥の森の中に有ったようで、昔の姿と祭りと地震後の経過が詳しいページが有りました。【五由里神社の跡】

 

 

帰りに小千谷中心部・小千谷港近くの慈眼寺にも寄りました。

ここも空海ゆかりの寺院です。

この寺院は戊辰戦争の決裂の地でもあり、歴史を大事にしています。

↓こちらの建物で河井継之助の談判があったようです。




 

 

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