2017年のフランス大統領選でマクロンが勝ったのですが、その際にツイッター上に異様な写真が飛び交っていた。
これです。
この場所がどこか日本人の人達は知っていますか?
東京のフランス大使館前です
大統領選の選挙投票に早朝から大行列です。フランスの投票率は毎回約80%近くあります日本国民は、なぜ選挙に行かないのですか?
なぜ日本人は無関心なのですか?
via @abeade1 pic.twitter.com/NYQCTsnKCn— asuka (@asuka_250) April 23, 2017
東京のフランス大使館前の大行列の写真なのですが、フランス大統領選挙の投票に並ぶ人たちの写真なのです。
これを見て
フランス「投票させろ」
日本「ちゃんと投票に行きました」
のような違いを感じた様な気がします。
あれからしばらくたちましたが今度はフランス総選挙ということでNHKBSで外国語ニュースを流していて、一般国民が理性的に自分の考えを述べる様子を見て「〇〇法案反対」とかの連呼や絶対に許さんとかの頑なさに辟易していた(政策ではなく譲り合う姿勢の有無、ユーモアなどです)自分もフランス人の選挙映像を見て「あっ、大人」と思った次第。
フランス人はフランス人としてうまく機能しない民主主義というものを、日本人とはまた違う意見・感情をもっているのでしょうが「国は国民のもの」と「国はお上のもの」の違いがありそうに思って(日本は「国はお上のもの」で数百年うまくやってきた)ネットでフランスの民主主義と日本のそれとの違いを調べたら、興味深いブログに遭遇。
★「民主主義」をフランスから見る (L’art de croire 竹下節子ブログ)
イギリスのEU離脱国民投票の結果から1週間経って、いろんな論調がそろい始めた。
「これが本当の国民の声を聞く民主主義なんだからあきらめろ」、「自分たちの思い通りに動かせると思いあがったエリートが悪い、いい気味だ」というものから「だから民主主義は機能しないんだ」
こういう出だしの後、フランスとイギリスの直接民主主義と間接民主主義の違いを説明、その中にイギリス型の日本の事も出てきます。
同じブログの中に
つまり、マクロンは、社会党出身でありながら、
キリスト教社会主義の「平等」志向と、
プロテスタント的な自助努力の「自由」志向の
両方を同時に体現しようとしているわけだ。
キリスト教やプロテスタント(プロテスタントはフランスは3%しか居ないそうです)
今の世界がいやおうなくグローバル化しているのはもう後に戻せないし、新しいテクノロジーが「特異点」と呼ばれるものに近づき、人間と労働の関係を変えることも変えられない。そのことが貧富の格差を生んでいるのも事実だ。
と、さらりと英米の逆戻りや人工知能や貧富に触れています。
日本の首相や各党の党首などもどのような背景を持っている人なのかジャーナリストが上手に書いてくれればもっと政治の見方が変わると思うのですが、この竹下節子さんに書いてもらえたら面白くなりそう(もうあるのかもしれませんが)
最後に、その日本のマスコミについての記事、しかもマクロンについて言及がありました。
アエラ(朝日新聞)の記事に驚愕している。
しかも、編集部とライターの署名記事。
突っ込みどころが多すぎる。
タイトルからして
《「ナチスの教訓」が勝った》
というのだ。
以下、いくつも突っ込んでいます、言わんとするところはアエラのライターと編集部の教養の無さ・知識の無さ辺りなのでしょうか。
でも、朝日の編集方針て世の中の変化や思いがけない事態をみてその本質を記者なり編集部なり伝えるのではなく、多くの場合編集部のお偉さんが「思いついた教訓を下々に伝えたい」ことのようです。過去に取材された経験からそのように思います。
ですので、竹下さんがびっくりしたのはマクロンが事実とは違うレッテルを張られ、いかにもな教訓に結び付けられていることだと思います。
朝日・アエラだけでなく日本中がどちらかといえばそうなのです。
こんなのでいいのか、日本?
と、締めていますがその通りだと思います。
でも、これが和風民主主義なのかもです。
従順な国民・市民、普段は役人・資本家・マスコミを泳がせて本当の事は伝えません。
でも、本当に重要な問題を含む日本国内選挙は「役人・資本家・マスコミ」の押す人ではなく全く違う人を選ぶ驚きの結果なども出ているのです。
それぞれの歴史・文化で民主主義の方法も違うのでしょうね。
でも、このブログのように違う考え方・手法は常に見えるようにしてもらいたいものです。
最初のツイッターの行列写真のインパクトは凄かったです。