片貝の浄照寺の寺カフェにゆき越後中央の近代教育の起点、朝陽館・耕読堂跡地を見る

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寺カフェ、新進気鋭のバリスタによるドリップコーヒー企画ということで本格的な寺カフェ、コーヒー、とっても美味しかったです。暑い日なのでアイスコーヒーでいただきました。

そのもようと、寺カフェ全体と、今回何よりも感激したのが明治政府の文部省官報で、柏崎の三餘堂と燕市吉田の長善館が北越の「私学の双璧」とされその二つに大きな影響を与えたとされる片貝浄照寺の境内にあったとされる朝陽館(後の耕読堂)の跡地に案内していただいた事です。

以下その模様

 

浄照寺の寺カフェ会場

 




 

新進気鋭のバリスタによるドリップコーヒー、片貝の人だそうです。

いただく前からいい匂いが境内に漂います。

美味しかったです^^

実はコーヒーが入る前に徒歩2分の朝陽館・耕読堂の跡地に案内していただきました。

昔はここまで浄照寺の境内だったらしい。

片貝の方々が跡地の石碑を建て、公園にしていました。

素晴らし!

 

片貝小学校は朝陽館(安永8年(1779年)に開塾)→耕読堂→片貝小学校という流れで創立、立派な流れです。下記写真は浄照寺の裏、杉林の少し向こうが片貝小学校です。昔は寺の敷地はとても広くおそらく辺り一面は境内だった可能性あり。

 

寺の表に回ると新緑のもみじの下のカフェが見えます。

もちろん、美味しくアイスコーヒーを頂きました。

この浄照寺にあった朝陽館が新潟県の教育に与えた影響の年表は以前まとめました

浄照寺自体はこの片貝に390年くらい前に移って来たそうです。

江戸時代初期、長岡に城が出来た頃でしょうか、その時点で既に片貝は街道筋の大きな町だったようです。

小千谷市は1000年以上の歴史があるようです。行基と空海の活躍からわかります。

片貝も小千谷同様に街道が走り古い歴史を持ちます。

寺カフェという何か新しいものを探る試みが続いています。

現代の寺院が檀家以外の地域とどのように関わる可能性があるのか。

明治以降戸籍管理を役所に奪われる等、様々な変化があったお寺様の次代への動き、浄照寺・朝陽館の地の試みが興味深いです。




 

 

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