おそらく日本最高の地域情報サイトの一つだと思います。
福島県相双地方の振興局が外注で運営していたのが相双ビューロー。
その中の情報ブログが「相双ゆたどさ」
このブログが福島第一原発の事故の後、とっても大きな仕事をしました。
それについて書かれたものを目にしたことが無いのでここに簡単にですが記録しておきます。
インデックス
- 相双地方とは?
- 東日本大震災と福島第1原発事故
- 相双ビューローと相双ゆたどさ
- 全て記名による記事、その発信メンバー
- 主な記録
- 眼には見えない大きな成果
1、福島県相双地方とは
以下の市町村で構成されています。
相馬市 、 南相馬市 、広野町 、 楢葉町 、 富岡町 、 川内村 、 大熊町 、 双葉町 、 浪江町 、 葛尾村 、 新地町 、 飯舘村
まさに原発事故の地域です。
相双ビューロー SOSO BUREAU ≫ 相双地域へのアクセス のページが詳しいです。
2、東日本大震災と福島第1原発事故
プレート型の巨大地震による東日本大震災は、福島第1原発の事故を引き起こしました。
それは、相双地方で起き、相双地方の一部地帯に帯状に拡散したのです。
相双地域の大熊町に立地する福島第1原発は風向きにより相双地域の多くの地域に放射性物質を拡散しました。
下図は「文部科学省及び栃木県による航空モニタリングの結果:原子力規制委員会(文部科学省がこれまでに測定してきた範囲及び栃木県南部におけるセシウム134、137の蓄積量の合計)」
まさに被害地域です。
3、相双ビューローと相双ゆたどさ
いくつかの道府県には「振興局」という道府県の出先が設置され、その地域の様々な仕事を行っています。
(上記リンクニコニコ大百科によると、タイプがいくつか有り、北海道・福井県・岐阜県・和歌山県・長崎県・大分県・岩手県・京都府・秋田県・新潟県・熊本県・鹿児島県・福島県と13道府県に設置されているようです。)
福島県相双地方振興局は地方情報発信を外注していたようです。
地域の中のICTに詳しい団体(もしくは企業?)が情報発信を担っていました。
この体制が震災時に奇跡的な情報発信力を発揮します。
相双ビューローという親サイトが有り、その下に相双ゆたどさというブログが有る、という構造でした。
ゆたどさとは「ゆったりが、どっさり。~ふくしま相双~」というキャッチフレーズからとっています。
4、全て記名による記事、その発信メンバー
さて、そのブログが素晴らしい情報発信をしてゆくことになる訳ですが、そのキーとなるのは「記名による記事作り」ではないかと思います。無記名記事は記事の責任がどこにあるのかわかりにくく、個人責任ではなく組織としての情報発信と受け取られます。
そこで出てくるのが、一般的には以下の対応。
- 当たり障りのない記事
- クレームになりにくい記事(上と同じか)
- 情報発信をなるべく控える
- いかにもがんばっている提灯記事
とかになるのではないでしょうか、立場上行政関係はそういう情報発信にならざるを得ないと思います。(私が担当者でも絶対そういう風になると思います。ある意味、行政関係は自由・自己責任のネットにむいていない組織かもです)
この絶対絶命危機の中、目の前にある情報をとにかく発信したい。上記4つの問題を乗り越えて真実を避難先の県民に伝えたい。相双ゆたどさはそう考えたのだとしか思えません。
その為に記名記事にしたのだと思います。
ただし、ネットは怖いです、本名ではなくニックネームで書かれました。
- CrosS
- ゆっ太郎
- どっさりん子
たしかこの3人の方です。
5、主な記録
震災から約2週間後、南相馬ブログ新聞に「ブログ:相双ビューロー」の記事の掲載許可が下りて掲載が始まりました。その記事を8つほど追ってみます。(※南相馬ブログ新聞:避難先の高齢者も読めるようにネット上のブログを集め紙印刷して配布したもの)
どれもが避難先の人が欲しがっている情報です!(行政だと出しにくい情報も多数)
★3月24日 (南相馬ブログ新聞に掲載された最初の記事)
南相馬に残る皆様へ・・・医療機関の状況を報告しています。
〇相双ゆたどさに記事が保存されています「南相馬市に残る皆様へ」
★ 4月4日
その後の津波被害の模様をレポートしています。
〇相双ゆたどさに記事が保存されています「南相馬市北泉海岸」
★5月8日
お店の開店状況の記事が目立っています。
〇相双ゆたどさに記事が保存されています「少しずつ、一歩ずつ。三歩め」
★5月24日
災害ボランティアへの記事も多数発信、これは文字通りボランテアに来られる方への情報であると同時に、全国の人がどのように被災者に関心を向けてくれているのかも解る効果も有ります。
〇相双ゆたどさに記事が保存されています「ボランティアへお越しいただける皆様へ」
★6月1日
様々な施設が再開している模様を丁寧に取材。
〇相双ゆたどさに記事が保存されています「道の駅南相馬営業再開」
★6月14日
食べ物屋さんの再開はかなり力を入れられていました。
〇相双ゆたどさに記事が保存されています「チャーハン激ウマー 南相馬 あじくら」
★6月30日
原子力被害の賠償問題の情報も積極的に出されていました。
〇相双ゆたどさに記事が保存されています「原子力災害被災者・記録ノート」
★6月30日
相双地方の復興には絶対に欠かせない伝統相馬野馬追は徹底的に取材され、全国に届けられていました。
〇相双ゆたどさに記事が保存されています「平成23年度東日本大震災復興相馬三社野馬追宵祭」
6、眼には見えない大きな成果
相双ビューロー 相双ゆたどさが成し遂げたもの
(1)公共では発信しにくいことを民間請負記名記事で発信できた。
(2)ブログにあげることで遠く県外の避難者まで届いた。
(3)全ての情報をそのまま残した。それは極めて貴重な記録となった。
相双ビューロー相双ゆたどさと同じように南相馬市から地元情報を発信し続けた「スーパーサイヤ社長のブログ」も避難先で読まれていて、帰還者の社長への面会が容易なスーパーなので「あなたの記事のおかげで帰るか帰らないかの判断が出来た」と何人にも感謝されたようです。
相双ビューロー相双ゆたどさもさらに広範囲な取材で情報発信していましたので、間違いなく避難先で判断に困っている人達を助けたものと思います。
あまりにも広範囲の災害であったために市町村単位の細かな情報発信はマスコミにはとてもできません。
相双地方の情報発信はICTによる災害現地情報発信の成功の重要な例になるものと思われます。
ぜひ、全国のどこかにいつかくる災害においてもこのような体制での情報発信を行っていただきたいものだと思います。
相双地方振興局の判断は素晴らしかったとしか言えません。
全国の同様な組織の皆様、どうぞ普段の情報発信も民間に回してください。
きっと平時においても思わぬ効果が出ると思います。