※郷土の歴史・伝説が巨大遺跡発見によって変わるのではないか、素人の好奇心と妄想の経過です。その9
ネットは巨大な知識の宇宙
専門家の著作、出版物の検索から新聞記事、個人研究やブログから2チャンネルの果てまで網羅し、検索サービスが重要性から並べ替えてくれていたりする。
そもそも、この毛利と製鉄の妄想は、その中に見つけることが出来なかったから始めたもの。
何故ネット上に無いのか、考えられそうなのは以下
- 常識過ぎて書かれていない。
- 重要な事ではないので書かれていない
- 存在するが、検索する人が少なく相互リンク構造も乏しく検索エンジンでは上位にならず数十ページ以降にならないと出てこない。つまり関心が無い
- 鉄についてそういう観点の考察はあまりなされていない
- ネット上に出ないようにしてる
くらいでしょうか。
義務教育で習ったことは、征夷大将軍は東国を開拓する武士団の棟梁兼全国の武士団の棟梁なので武力で田畑を警護し、農民を統治した。
これくらいの認識でした。
今回の個人的興味の調査でまず明らかになった事、その興味の流れとともに記します。
- 中山間地活性化・中心市街地活性化・地方創生とか言っても既にある祖先の財産・地域資源をよく見ていないように思っていた。
- 越後小国のもちひと様伝説のおまつり、地域内でおまつりをやることが目的になっていて伝説に対して誰も本気になっていないのではないか。(母親が小国生まれで私は小国町の孫なので応援している分幾分か辛口です、すみません。大河ドラマ平清盛に以仁王が出てきて活躍したのに小国は何も便乗しなかった。)
- 小国のすぐ隣り、柏崎の軽井川製鉄遺跡の年代がもちひと様とかぶる。もちひと様は伝説じゃないかもしれない。本当に来ていたかも。東日本最大級の製鉄(製鉄から製品製造までの巨大コンビナート)だったらしく覇権争いなら当然関与するはずだ。
→ ブログ:柏崎の巨大製鉄所を平氏追討令旨の以仁王(もちひとおう)はおさえた?
- あれ、よく見たら毛利家もそこにいるじゃん。製鉄の軽井川とほぼ同じ地域に毛利の佐橋庄があった。
- 毛利と言えば中国地方安芸の国、たたら製鉄の本場じゃん。
- おおおお、毛利氏って鉄の専門家?
→ブログ:毛利氏は製鉄や鉄工の専門家だった!?鉄を追い相模→越後→安芸と流れて
→ブログ:「炉に棲む日日」:鉄を支配した毛利氏の物語(司馬遼太郎風)・・・中堅貴族の大江氏が鎌倉に下る。その有様を司馬風に
- 現地を調べよう、佐橋庄と軽井川製鉄遺跡
→ブログ:毛利氏と製鉄調査の旅 1、佐橋神社編
→ブログ:毛利氏と製鉄調査の旅 2、製鉄遺跡編
- 年表にしてみないと解らんなこれ。
→ブログ:毛利氏と柏崎市軽井川製鉄遺跡を1つの年表にしてみた
- 毛利氏は相模国の毛利庄が発祥、始祖は大江氏、大江氏の始祖は河内国、どちらも製鉄・鋳物の本場。がーん。もろ鉄一族。
→ブログ:地図で見る、越後佐橋庄南条館付近でやっと渡河、河内鋳物が相模毛利庄や柏崎大久保へ伝わった件
- 安芸の国、吉田庄は
→ブログ:河内→相模→越後→安芸 毛利の鉄 安芸吉田を司馬遼太郎「街道をゆく」にみる
ここまでが今までの流れ
しかし調べているうちにもっとビックリの事実が(私だけビックリで、歴史マニアにとっては常識かもですが)
- 鎌倉も製鉄の地だった。「鎌倉」ってそのまま読むと鎌の倉庫っすよね。
- 頼朝の流された伊豆も製鉄が盛んな地だった。
- 頼朝自身河内源氏だった。河内の一族・・・えっやっぱり河内なのか。
- 遡って平将門の坂東市も製鉄の地だった。
武士は、製鉄をして農具を作り武具を作り土地を増やしていった。武士って鉄と共にあったのだ。
鉄を扱い
農具を作り
田畑を開墾し領地を増やし
武具を作り
獣を狩り農作物を守り
敵から領地を守り
農作物を売り
工芸品を売り
農具を売り
武器を売り
陸路を作り
海路を作り
それら全てでまさしく「百」姓であり
荘園の持ち主は貴族だったが
現地で束ねる人は武士になっていった。
これはロンドンオリンピックの開会式で繰り広げられたイギリスの歴史と同じ。
農業をして、スポーツをして遊び、石炭と鉄で農具を作り、機械を作り七つの海と七つの大陸を支配した。
イギリスの百姓。12分12秒くらいからです。
イギリスの国のありようを見て、日本の武士・百姓って凄いと思います。
さてさて、地域資源、地域の宝物でした。
ここまで見てきて越後柏崎から長岡にかけて全年代の歴史街道が出来上がった気がします。
西(柏崎から)東(長岡・小千谷)
- 谷根の炭焼き・・・江戸?・・・鋳物に使われていた、軽井川の製鉄にも?恐らく熱量を出せる良質な木炭か・・・【備長炭につづけ】
- 鯨波・大久保の鋳物・・・南北朝・室町時代・・・本場河内の鋳物師が戦乱を逃れてやってきた本物の系譜・・・【越後開拓史】
- 軽井川製鉄遺跡・・・奈良・平安・鎌倉初期・・・木炭の枯渇で移動する製鉄がこれだけ長く続いた。豊かな森林・・・【既に隣にある公園とのコラボ】
- 佐橋庄の南条館・・・平安・鎌倉・・・鎌倉の官僚トップの大江氏が家族を直に地頭として送り込んだ最重要な土地。・・・【やはり製鉄がらみでとりあげるのが】
- 北条など・・・鎌倉・室町・戦国・・・越後毛利氏、始祖大江広元の「広」は越後毛利本家、「元」は安芸毛利分家が使った。・・・【毛利サミットとか】
- 長鳥の勝海舟・・・江戸・明治・・・勝海舟の祖先は毛利の佐橋庄北端あたりの出身。幕末は敵味方の代表。・・・【長州軍進軍ルートとか重なったら】
- 小国のもちひと様と小国氏・・・平安・・・平氏政権で重要な地位にあった源頼政(以仁様と一緒に挙兵)の弟が越後小国に入っていた(製鉄所がらみ?)そこに以仁様が逃れた伝説。・・・【以仁様だけでなく有力な源氏が居たこともかなり重要】
- 渋海川(北越雪譜)・・・江戸・・・北越雪譜の舞台、様々な逸話が有る・・・【逸話の場所特定】
- 塚山長谷川邸・・・江戸・・・越後最古の民家・・・【瀬替えの見学とセットで】
- 関原縄文遺跡・・・縄文・・・火焔土器など。・・・すでに手厚く地域資源化
- 長岡城址・・・戊辰戦争最大の近代戦・・・すでに手厚く地域資源化
- 小千谷慈眼寺・・・戊辰戦争北越戦争の談判の寺・・・【すでに有名だがもう少しなんとかできそうな】
- 山古志・・・江戸・・・里見八犬伝にも登場する牛の角突き・・・すでに手厚く地域資源化
ということで、縄文時代から明治まで各時代が並ぶ歴史街道です。
ありきたりですが、歴史ファンを呼び、住民が郷土に愛着と誇りを持つそんな街道でしょうか。
関連まとめ:大江・毛利氏の領地関連・鉄関連資料を柏崎市史や北条町史等にみる。