市史・町史は宝の山ですよ。大江・毛利氏の領地関連・鉄関連資料は柏崎市史などで探る。

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※郷土の歴史・伝説が巨大遺跡発見によって変わるのではないか、素人の好奇心と妄想の経過です。その10

図書館で調べました。

 

長岡・柏崎の歴史

nagakasi

図説長岡・柏崎の歴史 (新潟県の歴史シリーズ)

 

P62—南条館・・位置、地域名、経光が時親に佐橋二千貫・安芸吉田一千貫、安芸毛利誕生、南北朝時代に移る

 

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逆・日本史

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P29—鎌倉を選んだ理由・・・軍事・守り・水脈、鎌倉武士は武装した農民集団・鋤鍬をもっていた。生産力と武力を持つもの
P31・32・33—豊富な砂鉄が鎌倉幕府を支えた・・戦は鉄の消耗戦・陣中には鍛冶屋・鎌倉も鉄が無ければならないが記録は無い、しかし浜辺は黒く砂鉄に満ちていた。「鎌倉史」・「湘中紀行」にも砂鉄が書いてある。
鎌倉には、刀鍛冶・小鍛冶・甲冑師・鋳物師が住んでいた。

 

柏崎市史 上巻 平成2年3月31日 発行

P622—古代製鉄地図・刈羽と三島郡、出雲崎・寺泊・与板に製鉄跡
P636—柏崎田尻(旧軽井川)でも製鉄が行われていたと考えられる。
P643・645—越後の駅路・・・佐橋へ入り込む路の地図・・・この時代徒歩で河川を渡る、泥で無い中流域で渡る
P674—1212年以降に小国氏が移り、代わったのが毛利安田氏、以仁王の事も書いてある。
P677—佐橋庄・・・本家が六条院・領家が一条院女房右衛門佐局、佐橋庄の成立は1086~1129ころか。
P678・679—荘官と地頭、毛利氏が佐橋庄の地頭、毛利氏は鎌倉公文所の別当の大江広元が元。
P681—佐橋庄の範囲・加納付近から鯖石川中流域、長鳥川流域と推測

鋳物

P375—新潟県内の鋳物師は流入鋳物師、大窪だけが河内国丹南郡日置荘鋳物師の系譜・中世伝承を持った鋳物師。

 

北条町史 昭和46年4月20日 発行

 

P53—鹿島の諏訪神社と北条の八幡神社に大江広元の祈願所であると記されている。
P54—大江広元33歳の時に1歳年長の頼朝が挙兵、義兄中原親能は兵士に追われ関東の頼朝の元へ行っていた。八幡太郎義家と大江 匡房の関係も有り広元も関東へ。鎌倉の別当となり守護・地頭制度を作った。いかなる恩賞で佐橋庄の地頭になったかはわからない
P56—安芸吉田の地頭職に大江広元がなったが時期は定かでない。越後佐橋庄・安芸吉田庄が大江毛利の相伝の家領とされる。
P63—毛利季光と一族路郎党は三浦氏と共に敗亡したが三男経光は上洛中、毛利に戻ることは許されず、越後佐橋庄にくだった。
P64—三浦の乱で没収されなかったこと、佐橋神社の北1キロくらいを長者屋敷といい礎石がはっけんされている。南方3・400mには古屋敷と呼ばれている。大江氏は兵学を家学とす
P68—朝廷・荘官と幕府・地頭の二重支配から越後が幕府の分国支配になり地頭が力をつけていった。
第3章北条城の盛衰—1336年ころ毛利家の所領、安芸吉田庄一千貫・河内加賀郷二百貫、京都屋地2カ所、越後佐橋庄南条二千貫

 

大江氏が越後佐橋庄と安芸吉田を持ち、河内との関係が続いたのはやはり鉄関係かと思います。


 

関連まとめ:【まとめ】大江・毛利氏、鎌倉・伊豆、平将門まで武士は「鉄」。鯨波から山古志までで全時代のお宝歴史街道。

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