全国バレーボール大会主将に半藤姓、それで半藤一利さん(山本五十六他著書多数)を調べた経過と調査報告

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別掲載していたものを転載

半藤さんと岩野、経過と調査報告

2014年1月の高校バレー

新潟県代表で出場した長岡商業高校(1回戦勝って2回戦で強豪に敗れる)

 

この活躍で新聞にも取り上げられた。

主将でエースの半藤さんは越路中学校出身とのこと。

珍しい苗字「半藤」

岩野集落に有る名字である。

知り合いが岩野に居るので、聞いたところ

その知り合いの家のお向かいの家だそうなキャプテンの家、越路中学はバレーが強い、岩野は特にバレーボール人材輩出らしい。

という事がわかった。なぜ?

 

長岡で半藤といえば半藤一利さんが有名

映画の山本五十六原作、風立ちぬでも宮崎監督とテレビ対談など今も活躍。

越路の岩野(井上円了・和月伸宏さんの浦村の隣)に半藤姓多し。

半藤一利さんと岩野は関係あるのか?

 

1、フェイスブックで聞いてみましたが結局自分でググりました。

2006年国土交通省関係の基調講演を長岡市で行ったものに書いてありました。PDFです。
http://www.mlit.go.jp/crd/chisei/image/nagaoka16.pdf

読みどおり旧越路町の岩野の縁者のようです。

以下の記述がP45の左側の半藤さんのお話の冒頭に出てきます。

引用—————————————————–

私東京の生まれなんです。
東京は向島の生まれなんですが、東京大空襲でやられまし
て、こちらの方へ疎開してまいりました。この長岡のまち
の在の方に今市町村合併で長岡市の中に入りましたけれど
も、はるか向こうの在の岩野という小さな村で中学3年、
4年、5年と過ごしまして、長岡中学校、現在の長岡高等
学校を卒業した者でございます。

—————————————————–引用終わり

はい、早速出てきました。半藤一利と言えば太平洋戦争・山本五十六。山本五十六も長岡中学卒業です。

ちなみにこの基調講演は歴史オタクにはかなり楽しめるものです。お時間があったらどうぞ。

 

Youtubeに半藤さんの声もありました。

 

ちなみに半藤一利さんの略歴

昭和28年に東京大学文学部卒業
文藝春秋社に入社、その後週刊文春、文藝春秋編集長、専務取締役などを経て、現在は作家
妻は夏目漱石の孫
新田次郎賞、山本七平賞 受賞
長岡市米百俵賞の選考委員長(今は変わられたようです)

 

2、文学碑

えっと、これって岩野集落に半藤さんの文学碑を建てる資格がありそうなんですが。そうすると司馬遼太郎~半藤一利~井上円了と等間隔くらいで信濃川左岸に並ぶんですが。無理っすね^^

 

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3、「一」

ということで越路の岩野の半藤家を調べていたら!!!!驚愕の事実!!!!

岩野には半藤姓の家が13件あるようですが、そのうちの約半数の6件の世帯主の名前に「一」(漢数字の一)が付いているじゃないっすか。
こんなのはありえないわけです。
ひょっとして岩野集落の風習?と、他の姓も調べましたが普通にポツリと一があるだけ。
つまり半藤一族は異常なくらいの「一」こだわりなのです。
ここまで振ればお分かりなように半藤一利さんにもその半藤一族のシンボル「一」がついてるが~~~。

一応岩野の知り合いに調査依頼しました。
お向かいの旦那さんも半藤で一がついているらしい。

これの解明はかなり難しいでしょうが・・

 

4、通学手段は?

もうひとつわからないことがあったのですが、それは半藤一利氏がどうやって長岡中学に通ったか、です。
 当然信越線来迎寺駅から長岡駅まで汽車になるわけですが、岩野から来迎寺までのルート。
 かなり距離が有ります。約4km、1里です。
 徒歩一時間。浦経由で来迎寺駅、片貝経由で来迎寺駅、同じくらいに見えますがどちらでしょうか、いずれにしろ冬は吹きっ晒しの場所が有りそうです。
 そこでくだんの岩野の人に聞くと昔は片貝を通って来迎寺まで行ったという話を聞いたことが有るとの事。
 そこで片貝ルートを地図で見ると直通の大きな道、でもそれは片貝バイパス。
 昔は無い。昔はそのルートは鉄道。おおお、そうか魚沼線が通っていたんだ!
それなら片貝駅は岩野から1.5kmくらい。楽勝。
魚沼線は来迎寺から西小千谷市までの路線で上越線ができるまでは魚沼に入る唯一の線路。
当時の来迎寺駅前は大繁華街、芸者もいっぱい居たとか。
そっかそっか、魚沼線で来迎寺駅で乗り換えか。と思って調べたらじぇじぇじぇ。
戦争中1944年に魚沼線は休止され、ようやく1954年に再開したとの事。
半藤さんは乗れたのか。
再度調べると1945年終戦時に半藤さん3年生。魚沼線には乗っていないですね。
さてその期間代替えの交通機関はあったのかどうか。
とんでもない大雪でいやになった思い出が半藤氏にはあるようで、魚沼線休止がかなり堪えたのではないか。
興味は尽きない戦中戦後史です。

 

5、その後の調査

くだんの岩野の知り合いは半藤一利さんを知らない。私から聞いてネットで写真を調べたらその風貌は近所の爺さんに似ているとの事。面長で背が高くて整った顔立ちとか・・・。おおお、一利さんでねえだべか。背が高いのでバレーの選手も輩出しているようで・・・。近づいてきました。

 

6、ポツンと古志郡の岩野

 岩野と釜ヶ島と信濃川対岸の仲島、越路町時代では長岡市地内の飛び地だった。この3集落で石津村を構成していたらしい。で、この村は古志郡。隣接・近隣の浦も来迎寺も片貝も全て三島郡。その中に古志郡があったのです。おそらく信濃川の氾濫に伴う川筋の移動。それで左岸になったと考えるのが自然な気が。(岩野・釜ヶ島のほうがむしろ飛び地) ただし、岩野は河岸段丘の上、氾濫で位置が変わるのはありえない。釜ヶ島は低いので流れの変換で右岸左岸の移動は有りそう。岩野の場合は東日本大震災の津波対策のように高台移転したものと見るのが自然かもです。

 

岩野と半藤さん、この後少しまとめてあります。

岩野と半藤一利 | 越の遺産 歴史街道 長岡-小千谷

 

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  1. 私はS29年長岡高等学校卒です。
    スポーツ吹矢を考案して普及しています。(社)日本スポーツ吹矢協会会員、国際吹矢道協会会長、国際メンコ射撃協会会長、ヌンチャク竜音棍112式考案創始者、魔法の指笛演奏家、医博、国連英検A級
    左足ブレーキは命を救う会 
    24日(水)13:00アオーレAホールでカラオケ大会で魔法の指笛をお聞かせします。ぜひお出でください。無料です。
    半藤利一さんも集団自衛権に反対していますね。

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