考え方としては素晴らしいが実際に可能なのか?
と、思っていましたが、どうやら可能のようです。
今問題になっている法案の後方支援に属することで実際の戦闘地域ではないですが、そこに「爆弾を花火へ」の芽があったのです。
以下、そのお話し
1、世界中の爆弾を花火に変えたい
2、実際にあった爆弾を花火に
3、やっぱり日本人だからできた?
1、世界中の爆弾をすべて花火に替えたい・・・
「世界中の爆弾をすべて花火に替えたい・・・」 長岡の花火が大好きだった山下清画伯が 「みんなが爆弾なんかつくらないで、きれいな花火ばかりをつくっていたら、きっと戦争なんか起きなかったんだな」 という言葉を残しています。
また戦後の長岡花火を支えられた花火師、嘉瀬誠次さんは 「世界中の爆弾を全て花火に替えたい、そして二度と空から爆弾の降って来ない世の中になって欲しい」 と言っています。 (長岡まつり協議会HPより)
嘉瀬さんの花火白菊は、8月の長岡花火だけでなく12月8日の太平洋戦争開始の日、真珠湾攻撃・マレー半島攻撃の日に市民の寄付で信濃川河畔で打ち上げられています。
→ 慰霊と平和の花火
写真はその時のもの、花火は慰霊の花火白菊です。
「世界中の爆弾をすべて花火にかえよう」
と、手前の六角大凧に書いてあります。
言いたい事はよく解るしぜひそうしたい。 が、どうすればよい、どうなったら爆弾が花火になったと言えるのだ。
ポエムだよな。 爆弾を花火にするなんて。
爆弾が花火になった地域・量を計れたらいいですがアイデアはないかな?
と、ある時切り出してみましたが、それはおそらく無理だ、そもそもこれはそういう平和運動でいいんだ。
というのが暗黙の了解でしょうか。
よく考えれば、こんなことをリアルに実現・計量化するなんて出来ないよなと誰もが、私も思っていました。
運動は広がってゆき、ついに真珠湾で慰霊の花火を打ち上げるに至りました。
2015年8月15日(終戦の日)に真珠湾で白菊が打ちあがります。
これはおそらく12月8日に越後長岡で白菊が打ちあがるのと対になっています。
日本人的な考えが通じたようです。
・・・花火は歓喜だけでなく慰霊も行える・・・
2、実際にあった爆弾を花火に
で、ある日、爆弾を花火に変えた実例に触れました。突然、思いがけず。
いつものように佐々木俊尚さんのツイートを見ていたら
今問題の法律改正に関することで
「自衛隊イラク派遣 、非戦闘地域は虚構という「虚報」」 というものが有りました。
「政府が非戦闘地域とした自衛隊の活動地域で、自衛官らが危険な状況に置かれていた実態」とする朝日記事。しかし軍事的常識ではごく普通の状況と。自衛隊のゼロリスク論になってしまってる問題。/自衛隊イラク派遣 、非戦闘地域は虚構という「虚報」 http://t.co/zDdtIcuxsi
— 佐々木俊尚 (@sasakitoshinao) July 25, 2015
両陣営の言い分の中から現実的な部分を拾いだし、落としどころを見つけるような事をやって来た知識人達がとにかく絶対反対という左翼典型的な世界に落ちていって、冷静な人が居なくなったような中で左右どちらにも適切な距離を置き、でも、それぞれを現実的に見て賛成できるものは賛成する。大事な仕事を佐々木さんが担っていました。ありがたや。
そんな中で上記のツイートが有りました。
そこで紹介されているホームページは以下です。
で、http://gohoo.org/の中の「自衛隊イラク派遣 「非戦闘地域は虚構」という「虚報」」の中で「爆弾を花火に変えた」くだりは以下。引用させてもらいます。
・・・それが何門も同時に発射されるのが戦闘地域なのです。1分間に何百発も落ちてきます。それくらい発射しなければ、敵を制圧できないのが戦闘地域ですし、さらに大口径の火砲が同じように砲撃してくるのです。
・・・サマワでは陸上自衛隊の宿営地に上から落ちるような格好で打ち込まれましたが、これは明らかに別な意図による発射と考えられています。
別な意図とは何でしょう。・・(略)・・それは、「仕事の要求」です。陸上自衛隊は1日あたり700人のイラク人を雇用して復興支援業務にあたっていましたが、なかには仕事にあぶれる部族やグループも出てきます。その点を注意して、まんべんなく仕事が行き渡るようにしておかないと、迫撃砲弾やロケット弾で「催促」されるということなのです。
「催促」、この迫撃砲は「狼煙」として使われていますね。
ご存知のように花火はもともと狼煙です。
何かの意志・情報を表明、伝えるのです。
戦国時代の最後関ヶ原の戦にも合戦の合図に使われているシーンが有りますね。
そう言えば小早川秀秋陣営に寝返りの催促の鉄砲を家康は打ち込んだりしています。
これ、サマワと一緒ですね。
狼煙で催促。
まあそれはともかく、サマワでは爆弾が狼煙(花火)になったのです!
爆弾で奪い合い殺し合うのをやらずに、「そろそろこっちも雇用を頼むぜ」という狼煙に火薬を使ったのです。
シベリア帰りの花火師嘉瀬誠次さんが、放浪の画家山下清が夢見た
「爆弾を花火に」が自衛隊の手によって実現していたのです。
3、やっぱり日本人だからできた?
ここでさらに思い出すのが橘玲の著作「日本人」。
日本人が世界で最も功利的な民族(金・損得にこだわる民族)らしい。という書籍。
良いことか悪いことか日本人の日本人らしい現実的な手法が通じたようです。
サマワで思想や理想では無く、現実的な仕事とお金を与えた日本人・自衛隊。
彼等が爆弾を花火に変えさせたようです。
全国でも行われていると思うのですが、現在でも新潟県長岡近辺では運動会の朝に花火が打ちあがります。
あれは「今日の運動会、予定通りにやるよ、みんな頑張ろうぜ!」という通信です。
多くの学校でホームページと花火(狼煙)が運動会実施の連絡に使われているのです。
ダイナマイトが戦争利用になったと悔いたノーベル、日本の花火はノーベルの想いを実現する「爆弾を花火に平和利用に」というものです。
サマワで行われた事、もしくはそれに類似した爆弾の放棄→火薬の平和利用を行った地域(部族とか)にこそミニノーベル平和賞を贈るべきだと思いますがいかがでしょ。(日本の小さな地方都市長岡での授与式も素敵かと^^)
参考資料 花火白菊への市民・国民の声
togetterまとめ:「花火【白菊】 花火師の想い 終戦70年、新潟県中・日本各地で、そしてついに真珠湾であがります」