真珠湾ではどんな花火が揚がるのか。本来は白菊なんでしょうが、国民性の違いも有りますしどういうものがハワイ人にとって慰霊になるのか興味深いです。
今現在解っていることは、終戦から70年目の2015年の8月15日にハワイの真珠湾で長岡市が花火を打ち揚げるという事です。
以下ポイントを書いてゆきます。
- 真珠湾とは?
- 長岡花火とは
- 花火師嘉瀬誠次さんと山下清さん
- ホノルル市と長岡市の関係
- 12月8日、長岡であがる慰霊と平和の花火
1、真珠湾とは
アメリカ合衆国ハワイ州オアフ島にある軍港。
1941年12月8日(日本時間:日本とハワイの間には日付変更線があります)に日本軍が奇襲攻撃をかけアメリカ軍は大きな被害を出し、太平洋戦争が始まりました。
2、長岡花火とは
新潟県長岡市の信濃川河川敷で毎年8月2日と3日に開催される花火大会。
大型のスターマインや三尺玉が有名である。
中越地震以降フェニックスという復興をテーマとした長大なスターマインでさらにスケールアップしてきました。
昭和20年8月1日の夜、アメリカのB29爆撃機が長岡を空襲しました。
長岡市の中心市街地は壊滅、1470人余りが死亡、罹災戸数は11986戸。
その慰霊と復興の為の花火大会として開催されてきました。
近年になって各種災害の慰霊や復興も重なり、長岡花火が長岡空襲の慰霊と復興から始まったことがより鮮明になった感が有ります。
3、花火師嘉瀬誠次さんと山下清さん
花火師 嘉瀬誠次さん
3代続く長岡の花火師、戦後初の正三尺玉の打ち上げに成功。長生橋の仕掛け花火ナイアガラやミラクルスターマインなど、長岡の名物花火を数々生み出した。シベリアのアムール川(ハバロフスク)でシベリア拘留で亡くなった戦友の為・戦争で亡くなったロシア人の為に「白菊」を打ち上げた。
そして、爆弾へのコメント
「世界中の爆弾を全て花火に替えたい、そして二度と空から爆弾の降って来ない世の中になって欲しい」
放浪の画家 山下清さん
放浪の画家として有名。花火が好きで長岡花火を題材としたちぎり絵もまた有名。
そして、爆弾へのコメント
「みんなが爆弾なんかつくらないで、きれいな花火ばかりをつくっていたら、きっと戦争なんか起きなかったんだな」
4、ホノルル市と長岡市の関係
長岡市は真珠湾奇襲(ホノルル市)を指揮した海軍山本五十六の出身地であり、米軍による空襲被災地という関係。
2012(平成24)年3月2日、姉妹都市となる。
終戦70周年で真珠湾で花火を揚げるほか恩讐を超えた友好関係を築きつつある。詳しくは下記を。
「未来志向」で平和を願い 終戦70年の友好記念事業真珠湾で長岡花火打ち上げへ
5、12月8日、長岡であがる慰霊と平和の花火
既に越後長岡では数年前から12月8日、真珠湾攻撃、太平洋戦争の始まった日に市民を中心として慰霊と平和の花火を揚げています。
市民の声 togetter
2012年:12月8日ハワイ真珠湾空襲の日、長岡市で慰霊と平和の花火、命日ジョンのイマジンに乗せて
2013年:12月8日 太平洋戦争開戦 慰霊と平和の花火 五十六の故郷越後長岡から
2014年:12月8日戦争が始まった日 越後長岡から真珠湾と全戦争犠牲者に慰霊と平和の花火あがる。市民の声
越後長岡市民はアメリカと一緒に平和を少し後押ししました。