河井継之助が最新兵器・軍事技術で西軍を追い込み、復興過程で米百俵の精神を生んだ越後長岡。
家老稲垣茂光は河井継之助と対立し、 戦後の長岡復興も小林 虎三郎に後れを取ってしまいます。
稲垣茂光の娘「杉本鉞子」は渡米しアメリカで武士の娘という本を著しそれはベストセラーになります。
杉本鉞子はヘミングウェイと同時代の売れっ子作家だったとのこと。
すごいですね。
薩長土肥の西軍に物申す気概の越後長岡は、河井継之助の後、米百俵を生み、武士の娘を生み、山本五十六を生みます。
つい最近NHKでドラマ風に特集されました。
1925年、無名の日本人女性がアメリカで出版した一冊の本が異例のベストセラーとなり、その後8か国で翻訳された。長岡藩の元家老の娘、杉本鉞子(えつこ)が書いた自叙伝「武士の娘」だ。なぜこの本が世界の人々の心をとらえたのか。最新の研究から、そこには執筆を助けた米国人女性、フローレンスとの秘められた物語があることがわかってきた。
杉本鉞子は、1873年、越後長岡藩の家老の家に生れ、武士の娘として厳格に育てられた。
結婚によりアメリカに住むようになり、すべてがめずらしく目新しい暮らしの中で「武士の娘」として身につけたものを失うことなく、また自分にとじこもることもなく、みごとに自立した考えを身につける。
越後長岡界隈の人を年代に並べてみます。
- 1827年 河井 継之助 誕生
- 1828年 小林 虎三郎 誕生
- 1831年 良寛 没
- 1836年 稲垣 茂光(杉本 鉞子の父) 誕生
- 1856年 稲垣 茂光 長岡藩家老となる
- 1865年 河井 継之助 藩政改革
- 1867年 大政奉還
- 1868年 稲垣 茂光 藩政から外される
- 5月~ 戊申北越戦争
- 8月 河井 継之助 死去
- 戦後 稲垣 茂光長岡に戻る
- 戦後 小林 虎三郎 長岡藩大参事となる
- 1870年 米百俵の故事
- 1873年 杉本 鉞子 誕生 (同年誕生:ラフマニノフ・小林一三)
- 1877年 小林 虎三郎 死去
- 1884年 高野(山本) 五十六 誕生
- 1898年 杉本 鉞子 結婚のため渡米
- 1909年 杉本 鉞子 帰国
- 1916年 杉本 鉞子 再渡米
- 1918年 田中角栄 誕生(刈羽郡二田村(現柏崎市))
- 1919年~1921年 山本五十六アメリカ駐在(ハーバード大学)
- 1925年 杉本 鉞子『武士の娘』出版ベストセラーに
- 1941年~45年 太平洋戦争
- 1943年 山本五十六戦死
- 1947年 田中角栄 衆議院選挙で当選
- 1950年 杉本 鉞子 没
まさに長い激動の時代(明治・大正・昭和戦前・戦後)を生きた人でした。
杉本 鉞子の行ったコロンビア大学はドナルドキーンの居られた大学です。
キーンのニューヨークハドソン川河畔の書斎は柏崎市に出来たドナルドキーンセンターに再現されています。
ドナルドキーンは源氏物語を読んで日本に興味をもち一生を日本文学研究に費やしています。東日本大震災後日本に帰化。
英語で武士の娘を出版した杉本 鉞子のいわば後輩ですね、キーンさんは。
不思議です。
リンク集
●武家の娘・・・杉本鉞子(小名木善行 ねずさんの ひとりごと)
●5月22日(水)武士の娘 – 目黒考ニの何もない日々|WEB本の雑誌
●Youtube 運命的に出会った本 「武士の娘」を通じて(異文化研究家 釘島浩子様をお招きして偶然図書館で出会った本、「武士の娘」(杉本鉞子)を通して日本の歴史・文化にふれ心を動かされた。)