河井継之助記念館(長岡市)の友の会主催で、今年5回目となる「八丁沖ウォーキング」のレポートです。
戊辰戦争の長岡周辺の激戦を別に北越戦争と呼んでいます。
新政府の成立を左右する激戦が行われた戦争なのです。
方々で戦いは有りました。
その中で、1回新政府軍に奪われた長岡城を奪還した戦いは広大な湿地帯を超えての奇襲であり
今日まで語られるものになっています。
「八丁沖ウォーキング」は、その進軍ルートを歩こうというものです。
今では全て水田に代わっていますので安心して歩けます。
周りに何もない広大な田んぼの中を歩くだけでもこの作戦の凄さを解ってもらえると思います。
湿地帯・沼は無くなりましたが距離や広さ、周囲の集落の位置はそのままです。
まさに実物大の奇襲作戦行軍体験が体験イベントなのです。
以下、そのレポートです。
●戊辰戦争伝承館に集合 朝8時半までに。
●館内で、戊辰戦争長岡北部での戦いを説明。大変な激戦地、戊辰戦争全体の中でも重要な戦いがあった事がわかります。
●この日は旧長岡藩17代目の牧野氏も初参加。今年長岡市に引っ越してこられたそうです。壇上右から3人目の何もかぶっていない方です。壇上は長岡藩士になりきった人たち^^。ここでエイエイオーと勝鬨をあげてから出発となります。
●まず、八丁沖へのスタート地点まで移動、この間の集落は東軍の陣地・宿舎(といっても寺や民家に泊めてもらうだけ)
●途中の西照寺の角にある史蹟。会津一の猛将佐川官兵衛の宿舎だったそうです。行軍の途中途中でガイドさんがいろいろ教えてくれます。兵隊は寺の床下で寝ていた。緊張の続く最前線(隣集落は東軍・新政府軍)なので、兵士は2~3日で交替していたそうです。実戦では人間をよく知らないと最高のパフォーマンスが出せないのですね。
●さあ、いよいよ作戦開始、八丁沖のあった方向に進軍です。見渡す限り田んぼ、見慣れない人はこの広さにビビるかもです。「この広い所を歩くの?」 でも、それが世紀の大奇襲作戦だったのです。体験を!
●今年は過去最高140人も参加(募集は100人、早い段階なら調整可能・受け入れたようです)
●さあ、何も無い所をひたすら歩きます。当時は葦が生えていたり多少は周囲の目から隠すものが有ったようです。
●どんどん行軍、豆粒大の大きさに。ここが全部湿地帯で、そこを渡っていったんですからなんという作戦・勇気だったのでしょう。現在でも勇気いります。この何もないだだっ広さ、越後ならではですね。
●もはやほとんど見えなくなりました。望遠で撮影したので、よく見るとちゃんと歩いているのが写っています。戦いの当時はまず、見えなかったでしょう。
上陸は富島町、上陸地点が古戦場パークになっています。隣の集落は福島、島なんですね。
●遠くに行軍が見えてきました。
●着きました。ご苦労様です。
●公園内がゴールです。
ここで地元の方からの差入れが有ったそうです。
八丁沖ウォーク。富島の町内会から甘柿の差し入れがありました!とっても甘い。 pic.twitter.com/Q3mVVQ0g5W
— tomi8 (@tomic_8) October 10, 2015
この後、バスで先ほどの伝承館へ戻ります。
史実ではここから長岡城に突撃するわけですが(鮮やかな奇襲に新政府軍は逃げるしかなかった、山県有朋も小千谷の手前まで逃走)この体験はここまで。
一般の人にはこれ以上は無理でしょう。
歩いた事にして次の史蹟に移動しましょう。という至れり尽くせりのものから変わって
こういう実物大の体験はこれから人気がでそうです。