「他人に迷惑をかけない社会」の行く末、小田嶋隆の考え から田舎の可能性まで考える

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ご存知の人も多いと思うが、オダジマン小田嶋隆はツイッターの中で生き生きと暮らしているコラムニストです。

https://twitter.com/tako_ashi

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疲れた時に行くといつも癒してくれます。

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彼は、書籍も数々出していますが、雑誌(紙・ウェブ)等に定期的に各コラムがとても楽しい。

世間一般と違う視点をいつも教えてくれます。

日経ビジネスの「 小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明」なんかはいつもうならせてくれます。

 

で、ツイッターに流れてきたツイートが

 

全文を続けて書き出すと

快適な社会を実現するための方法として、1「個々の市民が少しずつ我慢して他人に迷惑をかけないことを心がける」方法と 2「個々の市民が少しずつ寛大になって他人の逸脱に目くじらを立てない」方法の2つがあって、私は個人的に2を強く推したいのだけど、日本人の多数派はたぶん1を選ぶのだな。

承前) 1は秩序志向の考え方で、悪くすると少数者を排除する社会になる。2は、自由志向で、失敗するとより自分勝手な人間だけが利益を得ることになる。 まあ、どっちが良いのかは一概には言えないわけだけど、オレは「みんなが少しずつ我慢する」社会の先にあるものがどうしてもイヤなのだよ。

同感ですね。特にこの20年ほどは「他人に迷惑をかけない」という意識がエスカレートして「相互監視」の域に達している感じです。昭和の時代は、マナーの悪い人や迷惑をかける自分勝手な人が多かった分、社会全体がもうすこし寛容でした。

おそらく、「他人に迷惑をかけない」というモラルが過剰に尊重されると、「皆と同じようにふるまわないといけない」「他人の気分を害してはいけない」「空気を読んで自重すべき」という感じの、右顧左眄社会になる。

 —– 

まだ続くのですが、このくらいで止めます。

正に今「空気を読んで自重すべき」雰囲気があちこちにみられるようになっている気がします。

それが「他人に迷惑をかけない」というモラルが始まりかもしれないとは。

たしか、暴走したドイツのナチスは、かなり清潔で理想を追い求めた政党だったとか言う話しをどこかで読んだ記憶。

美しい道徳的な言葉はもろ刃の剣ですね。

「他人に迷惑をかけない」が「空気を読んで自重すべき」になって、監視社会。

失敗できない・失敗しない社会となって原発事故やら大企業の巨大な不正になっているような。

 

まずは、他人と迷惑をかけあう楽な社会からですかね。

きっと、田舎移住もそういう「楽」さが本当は求められている気がします。

でも、田舎社会は都会より遥かに監視社会だったわけで。

ただ、ここにきて、「もう好きにやってください。」的なものも出てきそうな。

 

その方向にも田舎の活路が何か有りそうな気がします。

 

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