冒険遠足でした。
春の草や葉の出ない時期しか峠道を調査するチャンスは無い。
4月限定。
勇んで挑戦。で、ついに旧街道と街道破棄事件現場を発見しました。
挑戦して、まず道に迷いました。
結果論から言うとそのくらいの覚悟がないと見つけられなかった。
2回に分けて書きます。
初回は以下の場所まで
(地図は国土地理院 地理院マップ 電子国土を利用)
1、車を置いて峠道を歩きます。
二つに分かれていますが左奥への道は斑尾山から始まる関田山脈から続く尾根の道、車でも数百メートル行けそうです、右奥が薬師峠です。
2、直ぐに薬師峠の祠が見えてきました。
鉄なので今や錆びてぼろぼろ。少しかわいそうでした。
3、これが内部
伊夜日子神社、大日如来、三夜塔、薬師如来の文字がくっきり読めます。
4、これが昔の大動脈、銀山街道・小千谷街道とも呼ばれた小千谷と柏崎を結ぶ街道。
魚沼の超高級繊維からむしを京や畿内に届けるルート。銀山からの銀も運ばれたのでしょう。
逆に京や畿内の文化が魚沼に入ってくるルート。ひょっとすると平安時代柏崎軽井川で作られた鉄製品もここを通ったでしょうか。
5、街道を塞ぐ木々。
木の大きさから少し前までは峠道を維持していた人達がいた気がします。ありがたや。
邪魔な木を切りたい衝動有り。
6、捨てられた街道
杉まで植えられていました。杉は植林されたものです。
かつての一級街道は完全に捨てられたのです。
どうしたの?
7、かなり奥まで歩いて行って、痕跡を探しました。
痕跡が無くなった地点から藪の中を50mくらい下ると平地が見えてきました。
8、平地に降りて池発見
田んぼの痕跡辺りを超えて水の流れを遡るとなんと大き目な池に出ました。
2万5千分の1地図のプリントアウトを持っていた私は、自分のいる位置を知ることができました。
昔、登山していた時に身につけた地図を読む力が蘇りました。(だったら迷うなよ^^)
でもね、そのくらい思いきり進まないと突破できない事ってあるんですよね。
大事な位置に来たことが解りました。
登ればまぼろしの街道に出れるかもね。ドキドキ。
あの新政府軍も奥羽越列藩同盟も歩いた街道、その千塚の尾根に行けるかも!!!!!
迷った立場にもかかわらず興奮していました。
で、この後、街道に出会い、街道が閉鎖した事件に出会いました。
乞うご期待。^^