魚沼街道の広田峠を歩く、北条から塚野山(後編) 長谷川邸・三波春夫顕彰碑・塚山駅

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[素人歴史妄想シリーズ]

魚沼街道(小千谷街道・高田街道・銀山街道)の広田峠を歩く、北条から塚野山・長谷川邸(中編)の続きです。

広田峠の快適な尾根をゆっくり下り袴沢川と渋海川を越えて塚野山宿、長谷川邸に行きます。

その後に三波春夫顕彰碑を見てJR信越本線塚山駅に向かいます。

 

  1. ルート案内
  2. 行程のレポート
  3. 街道と宿場町

 と、こういう感じでまとめます。

 

1、ルート案内

全行程地図

 地図は全て国土地理院の地理院地図、電子国土Webから利用させていただいています。

 hirota

 今回のレポートの要点

tukanoyama

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2、行程のレポート

 1、なだらかな尾根道

変わらずになだらかな下りの尾根が続きます。

人にも馬にも優しい尾根道です。

P1090631

 

 2、一里塚

塚野山歴史の会の皆さん、この一里塚の存在知りませんでした。ありがたいです。

P1090633

 

3、分岐点

右下への道は袴沢集落へのショートカット。

何か緊急事態が起きた時に避難できるルートがある、恵まれた峠です。

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4、二十三夜塔

ここにもありました、二十三夜塔。山谷から北条までの街道で3つめです。

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5、尾根を下ってゆきます

どんどん尾根を下ってゆきます。杉はここ数十年に植えられたものだと思います。

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6、牧草地?

畑というか牧草地というかなだらかな平地に出てきました。

P1090652

 

 

 7、馬頭観音

旧塚山スキー場の展望台への道みたいです。

P1090654

 

 

8、麓の集落

沢の途中が袴沢集落です。

刈羽郡側で街道の責任をもっていたのがここと小坂・菅沼集落かもです。

小千谷への薬師峠は鷺ノ島や千谷沢・原小屋でしょうか。

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9、袴沢川

その昔は、この川を超えてから渋海川の渡しへと向かいます。

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10、渋海川

長い川です。

上流は豪雪地帯、水量があってやっかいな川だっと思います。

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11、渡し場跡

長谷川邸から街道を横切って斜め前が渡し場です。

鯖石川と佐橋庄南条館の位置関係もこんな感じだったと思います。

P1090689

 

12、街道の小国・小千谷方面

森になっているところが長谷川邸です。

P1090693

 

13、旧魚沼街道塚野山宿

そうです、ここでは小千谷街道でも高田街道でも銀山街道でもありません。魚沼街道と呼ばれています。

「塚野山宿」という文字も地元には目新しいと思います。宿場町であったことはあまり聞きません。

P1090695

 

14、長谷川邸

立派な門です。これ、陣屋ですよね。

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15、長谷川邸母屋

立派なものです。

上手にまとめられている人が居ました。リンクします。

P1090699

 

 

16、三波春夫顕彰碑

三波さんはこの塚野山で生まれ育ちました。

故郷で銅像になっています。

後ろの山並みは塚山宿東のはずれに接続する尾根。昔は街道が尾根を伝っていましたが今は跡もわからないようです。

三波さん、本名は北詰 文司さんです、この塚野山には今では無い苗字かと、街道の宿場町には外からの人々の流入、情報が豊富にあったものと思われます。家業は本屋さんとか、情報産業だったのですね。

新しい音楽「浪曲」を知り、今日の若者のように「かっこいいなあ、やってみたいなあ」と始めたのかもですね。

晩年になって若者たちの間で流行るハウスミュージックに挑んだりしていました。新しいものに抵抗は無く良いものは進んで取り入れるはつらつたる精神がおありだったものと思います。

三波春夫オフィシャルサイト

P1090712

 さ、日本歌謡芸術の最高峰の一つ「俵星玄蕃フルバージョン」をどうぞ

奇跡としか言えないような楽曲、到達点です。

未だ日本・世界の楽曲はこれを越えたものは無いように思います。

地元びいき^^です。

 

17、JR信越本線塚山駅

物流の重要地、塚野山に鉄道を通す、人足から馬まで揃っている、魚沼との(まだ鉄道の無い)交易ルートもしっかりしている。

そう言う理由だったのでしょうか。塚野山を通ることになり、そして信濃川の渡河地点も決まり、長岡駅も今の場所になったとか、そう言う話も聞きました。

中越地震で被災して建て替えられました。

P1090716

 塚山駅を中心とした長鳥駅、越後岩塚駅間は撮り鉄さんたちのメッカです。

信越 塚山」 ・・・世界が広がります

 

3、街道と宿場町

信越本線を塚野山に通す。物流のインフラが完成していた土地を通したのでしょうか。

塚野山は馬や荷車が通れた二つの峠に挟まれた宿場町、両峠用に馬を用意しておかなければならなかったという記述を読みました。

公の人・物資の峠越えを無償で手伝う(税の一種)ことが義務付けられていたようです。

おそらく、それにともなう利権、民間輸送有料サービスとかは一手に引き受けていたのではないかと思います。

道路も輸送システムもすべて整っているところを利用したくなるのは当然ですね。

しかも、塚野山には河戸もあったわけで

街道、船道に鉄道も加わった重要地になったのでした。

が、街道、船道が担っていた業務は全て鉄道に奪われることになります。

そして、にわかに生まれた来迎寺駅が地域の中心地へとなってゆくわけで、

そういう意味では長岡駅前の商店街も塚野山宿から見れば昨日今日で来たほんの数十年栄えた町。

塚野山は数百年街道・物流の中心地だったのではないかと思いますが、どうなんでしょ。

 

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