仮説、火焔型土器は古上高地湖決壊による大洪水を伝えるため文字を持たない縄文人が作った造形記録

このエントリーをはてなブックマークに追加

[素人歴史妄想シリーズ]

※これは言うまでも無く全くのフィクションです。

新潟県長岡市の郊外雪山町の団地の片隅にある馬高家のリビング

「ねえ、あなた、新潟県の火焔型土器とかが日本遺産になったそうよ」

「うん、そうみたいだね。」

夫の縄雄(なわお)はソファーに座ってノートPCでネットをしながら食堂テーブルで新聞を読んでいる文子(ふみこ)の話に相槌を打つ。

「それでね、なんかすっごい工夫してあって、「『なんだ、コレは!』信濃川流域の火焔(かえん)型土器と雪国の文化」というタイトルの遺産らしいの」

「なんだソレは!」縄雄はしばし手を止めて文子を見る。

文子は得意そうに

「これね新潟、三条、長岡、十日町の4市と津南町で応募したらしいの、ユーモアのわかる市長さん達ね。」

001

「最近の新潟県ぶっ飛び過ぎだよな!政令市の市長に全国市長会の会長まで入って『なんだ、コレは!』かよ。まったく。」

縄雄は再びノートPCに向かう。

「いいじゃない、最近の新潟県はそんな感じよ。常に斬新!ゆるキャラにレルヒさんとかシティーホールでプロレスとか何でも有りよ!楽しい!」

「でも、『なんだ、コレは!』ってなんなんだい?」

「そうねえ・・・岡本太郎さんが最初に見たとき叫んだ言葉らしいよ。(※その後の活動「岡本太郎と縄文展」) でね、火焔土器って本当に謎が多いんだって、こんな『なんだ、コレは!』クイズ付きの日本遺産もいいじゃない?皆で関心持って調べようよ!縄文に会いに行こうよ!って事でしょ。」

「確かに火焔土器って何の模様なのか、何の目的で作られたのか良くは解っていないらしいね。」

「そうなのよ、あなたもその点はよく解っているじゃないの。5,000年前に忽然と現れほぼ新潟県に集中、しかも信濃川流域、その他県内に集中して発見され。・・・」

文子は新聞の続きを読もうとひっくり返す。

「隣県にも点在するそうよ、福島県とか長野県、栃木県、富山県とか」

「お隣さんばっかりながーか」

「そうよ、近くばっかんが」

「俺はそんなことより来月行く穂高岳登山の調査で頭いっぱいなの。大正池は川になるし、どうなの上高地って思っていたら、ネットでとんでもないこと発見。」

「私に聞いてほしい訳?」

「うん」

「ねえ、ねえ、大正池や上高地がどうしたの?20年前にあなたと行ったっきり縁がないけど、どうしたのかなあ」

「解ったよこの次一緒に行こうね。・・・でね、なんと古上高地湖というのが有って5,000年前に地震で決壊して松本盆地は大洪水になったらしいよ。大正池が無くなっちゃうどころの騒ぎじゃないことがあったらしい。ほらここ」

縄雄はノートPCを文子のところまで持って行って見せた。

 「古上高地湖」の発生から消滅まで  〜上高地を作った巨大せき止め湖は5000年間以上にわたって存在し、ある日突然消滅した〜

 kamikoti

スポンサードリンク

 

 「ねえ、あなた、5,000年前って言った?」

「そうだよ。5,000年前だよ。松本付近全滅だって。」

「火焔型土器も5,000年前に忽然と現れたらしいわよ。・・・でも松本盆地の話ね。関係ないか・・・」

 

縄雄突然立ち上がる、興奮している。

「うおおおお~、上高地の、松本の、下流が火焔型土器の新潟県なんだよ!」

 

「え?なんなの?何興奮しているの?」

「火焔型土器のその模様は洪水だったんだよ!」

「え?え?何なの?」

古上高地湖の規模は今の黒部ダムの15倍らしい。それが決壊したらとんでもない水量・土砂が越後にも来たに決まってるじゃん!」

「え?え?え?地理解らない?」

「東日本大震災の津波級の大洪水が新潟県の信濃川流域を襲ったって事!」

「ねえ、それって大災害なんでしょ」

 ※下図は縄雄の脳内

kamikouti

 

「そう、東北の人達は近年石碑を建て文字を書いたけど(ここまで津波来たから気を付けてね)。縄文人は」

「じょ、縄文人は文字持たなかったよね」

「その通り、縄文人どころか人類はまだ文字を持っていなかった。だから造型してみんなに伝えたのさ!文字の代わりなんだよその土器は!最先端コミュニケーションツール!ひょっとすると」

「なんて伝えたの?」

「この川、雨が降らなくてもこんなふうなトンデモない大洪水が起きる。  とでも言っているんじゃないの?」

「上流が全く違う地域でどうなっているのか解らない川って日本じゃ少ないよね。私も信濃川の上流ってよく解っていない。」

「火焔土器は信濃川の怖さを周辺に伝えたのさ。この川とんでもないぞ。と。」

 

いつのまにか文子がコーヒーを出していた。

縄雄は飲みながら、

「交易して、信濃川に関わりそうな友達に伝えたんだろうね。」

「そっか、それで近隣県にしかない訳ね。火焔型土器が」

 

しばらくして

(縄雄は火焔土器も調べまくり湖の崩壊と比べていた。)

 

 

「ねえ、あなた、一つ疑問。なんで数百年で火焔型土器は跡形も無く姿を消したの?」

「ん~~~、そこだよね。もう一つの大きな謎だよね。   でも、おそらく・・・」

「え?それも解りそうなの?」

そう、古上高地湖は数回にわたって決壊しているそうだ。大規模な決壊の2回目は600年後だそうだ。

「ねえ、それって火焔型土器が突然姿を消したその時期なんじゃないの?」

 

002

「そうなんだ、その時期なんだ。でその後はその大洪水は起きていない。  その後上高地に土砂が堆積するのは遥か時代は下って江戸時代らしい。もはや文字の時代、造型による言葉・記録は不要だったのさ。」

「もしかしたら」

「そう、二人で見たあの頃の大正池が第三次の上高地湖なのかもしれない。」

 

 

簡単に状況解説 

  ※資料リンクは重複している部分もあります。

2008年に信州大学が行った調査により、古上高地湖の存在が明らかになりました。

「古上高地湖」の発生から消滅まで  〜上高地を作った巨大せき止め湖は5000年間以上にわたって存在し、ある日突然消滅した〜

引用

信州大学が2008年度に行った上高地での300m深ボーリングにより、巨大せき止め湖の存在が明かとなりました。

・・・

およそ5000年前、梓川筋に沿って延びている境峠断層が地震を引き起こし、古上高地湖を決壊させます。

大地震によりもろい火山地質の塞き止め部分が崩壊して黒部湖の15倍も有る湖が一気に流出したとか。

詳しい論文がネット上に有りましたのでリンクします。

地質学雑誌(日本地質学会)上高地盆地の地形形成史と第四紀槍・穂高カルデラ-滝谷花崗閃緑岩コンプレックス

上記P内 PDF 上高地盆地の地形形成史と第四紀槍・穂高カルデラ滝谷花崗閃緑岩コンプレックス 原山智

 

内陸部で東日本大震災並みの津波、ここでは大鉄砲水、洪水が発生したのです。

研究では松本盆地の梓川流域の地形の変化しか触れられていません。

しかし、そのさらに下流には長野盆地、そして直ぐに飯山線・国道117号線沿いの狭い谷に突入。

大水流はその谷を覆い十日町を経て小千谷付近から一気に越後の半沼地の巨大平野を覆い尽くしたのではないかと思います。

季節によっては鮭漁の縄文人が大勢犠牲になったものと思われます。

丘の上に居た多くの縄文人は助かり、どこから流れてきているのか解らない信濃川の急激な洪水、雨も降っていないのに大洪水になったこの川の怖さを伝えようとしたのではないかと思います。

しかし、文字を持たない縄文人、造型で伝えようとしました。

少なくともこの土器は大洪水の有ったことを表し、犠牲者に祈ったか、二度と起きないように祈ったか、祈りにも使われた可能性は高いです。

しかし遠い地域でも発見されているのは、日常使う道具に災害の伝承も含め「こんなことがあったよ気を付けよう」と伝えるのが主目的だったように思います。

 

火焔型土器は渦巻と波と流されているもので構成されているようにも見えます。

 

グーグル画像検索

kaenzu2

 

渦巻の胴体の上の淵に波が作られその上を大きなものが流されてゆきます。

岡本太郎さんもアーティストの直感として水をイメージしたようです。

それは獣のようにも見えますし何か他のものかもしれません。

十日町市付近妻有の方々の中には「これは水煙だ」と言っている人もいられるらしいです。

文字の無かった時代、伝え、記憶に留めてもらう方法として考えられたのではないでしょうか。

※しかも、現代と同じく「災害や防災訓練の時しか使わないものは使えなくなる。だから工夫して普段から使えるものにする。」 このことくらい縄文人は当然のこととして解っていて実用の土器に「こいう大洪水有るから気をつけな!」と作ったのではないでしょうか。

 

 

特定の期間だけ作られた事と大洪水

artgene:縄文の華 十日町市の国宝 火焔型土器展 【同時開催】モノの変奏

引用

縄文時代中期中葉といわれる約5,300~4,800年前の500年の間だけ現在の十日町市を含む信濃川上・中流域を中心に作られたと考えられています。

年代測定の誤差についての知識などは全くありませんのでもちろん想像なのですが

おおよそ5000年前に500年前後の期間において起きた事件が2つの大洪水、そしてその同じような期間に作られたものが火焔型土器 。

この強引な仮説だと、火焔型土器が造られた理由と特定の期間しか作られなかった理由が説明できそうです(こじつけですが^^)

 

で、なぜ長野県には少ないのか?

それは単純に良い粘土が無かったか、このような伝達文化が無かったかだけではないでしょうか。

 それと、大災害に付き、生き残って伝える人が居なかった。

十日町附近みたいに河岸段丘から洪水を眺める、河岸段丘が無くそういう環境に無かった。

※その後の調査で長野県にも同様の縄文土器がある事が解りました。(ただし、洪水が襲った松本盆地や長野盆地ではなくその周辺部です)

それが水煙渦巻文深鉢

 

 

災害と美術

5,000年前の大災害から今日まで越後に住む人々はずっと災害に向き合っていたものと思われます。

災害を美にして伝え残す文化は「雪まつり」を最初に始めた十日町を始め新潟県各地の雪まつりにも受け継がれているようにも思います。

 

 

ということで今からわずか8年前に発見された古上高地湖の地震による大崩壊・大洪水を縄文人が記録したものが火焔型土器であるという仮説でした。「なんだコレは!」の呼びかけに対するものでした。

 

「なんだコレは!」

ということで、みんな郷土の事を考え訪れるようになるにはとても良いテーマの日本文化遺産です。

考えてみましょう^^

 

 最後に、東日本大震災に負けない日本、そのオリンピックでもある事を考えると「火焔型土器」ほど聖火台にふさわしいものは無いと思います。

この素人仮説でも「防災の祈りを込めて作られた土器」でありますので^^。

情報・コミュニケーションと防災と芸術の一体となった土器が火焔型土器なのです。

やっぱり世界遺産級ですね。

 

以上「なんだこコレは?」を、ど素人が考えた場合のものがたりでした。

専門家の方々、活性化の一部と思って許してください。

 

火焔土器のレプリカ、何と販売されていました。「火焔型土器 20cm 新潟長岡在住の縄文火焔型土器作家の逸品」 出土した長岡市の作家さんです。38,880円~ この造型でこの価格は安いのではないでしょうか。手元に人類の宝を置けるわけです。

スポンサードリンク

 

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA