つくばの国立研究開発法人防災科学技術研究所が作成した災害年表マップがすごい!
http://dil-db.bosai.go.jp/saigai/
目次
- 古い記録を見る
- 伏見地震
- 安政東海地震と安政南海地震、伊賀上野地震
1、古い記録を見る
ここでの最も古い記録から2番目の西暦473年、和暦17年7月、和歌山県の紀の川市の風水害をみてみます。
表示画面
原典は熊野年代記、出典は粉川町地域防災計画とのこと。
風水害ですので台風被害でしょうね。
奈良平安どころかその前の飛鳥時代のさらに前になります。
雄略天皇(ゆうりゃくてんのう、允恭天皇7年12月 – 雄略天皇23年8月7日)は、第21代天皇(在位:安康天皇3年11月13日 – 雄略天皇23年8月7日)。
※仁徳天皇の孫のようです。
※この時代の朝鮮半島は例の高句麗・新羅・百済、そして任那の時代で、雄略天皇も大いに朝鮮半島にかかわっていたようです。
奈良県桜井市に都が置かれていたようで、その位置を調べてびっくり
台風被害の紀の川市の直ぐ近くじゃ無いですか。
これは雄略天皇の都も被害があったに違いない!!!
で、歴史はこの後 先のWikipediaによると
雄略大王は任那から久麻那利の地を百済に与えて復興させたという(雄略天皇20年を機械的に西暦に換算すると476年となるが、『三国史記』高句麗本紀・百済本紀によれば、475年(高句麗長壽王63年・百済蓋鹵王21年)9月に高句麗に都を攻め落とされ王は殺され、同年熊津に遷都している)。
ということで、普通に朝鮮半島で活躍、都では大きな被害では無かったようです。
ここで言えるのは、もし雄略天皇の物語を書くときに史実通りに台風を盛り込む事が可能になって、よりリアルなお話に出来るというもの。
私みたいな素人の歴史ロマンも膨らみます。
こんなふうな形でいくつか見てゆきます。
2、伏見地震
NHK大河ドラマ「真田丸」にも出てきた伏見地震は1596年、この後秀吉が死に1600年に関ヶ原の戦いになります。
1605年慶長地震と東海沖地震・西海沖地震が発生、その年に将軍が家康から秀忠に移譲されており興味深い。
続いて
3、安政東海地震と安政南海地震、伊賀上野地震
1854年、全国に地震マーク、幕末安政東海地震と安政南海地震、伊賀上野地震です。
1863年薩英戦争、1864年馬関戦争
攘夷が出来る体力はこの2藩しか無かった?
明治維新は1868年となります。
面白いのは会津藩・長岡藩を始め奥羽越列藩同盟地域はほぼ無傷。
こういう地図を見ていますと歴史の違う面も見えてきそうな感じです。
地理歴史好きなら1日見ていても飽きないかと。
最近話題になったスタンフォード大学の明治測量・昭和編集の日本地図の楽しさに勝るとも劣らない興奮保証^^
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