没後100年、夏目漱石と越後長岡の深い繋がり

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夏目漱石と言いますと

  • 東京都新宿区生まれ
  • 東京都台東区(塩原家養子・蔵前小学校)・千代田区(日比谷高等学校)・文京区(東京大学)
  • 愛媛県松山市(松山東高校赴任)
  • 熊本市の第五高等学校(熊本大学の前身)の英語教師に赴任
  • その他病気療養など様ざまな関係地有り。

東京と松山市、熊本市の印象が強いでしょうか。

Wikipedia夏目漱石

natsume

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 漱石と長岡市

新潟県長岡市ですが、上記と全く違う形で漱石と深いかかわりがあるのです。

漱石本人は特に関係ないと思います。

 

越後長岡との関係

  • 夏目漱石の長女筆子は長岡市出身の作家松岡譲と結婚
  • その娘末利子は太平洋戦争時に長岡に疎開、長岡高校を卒業している。
  • 末利子は、父が長岡市出身の半藤一利と結婚、半藤一利も長岡市に疎開し、長岡中学を卒業している。

つまり、夏目漱石の娘と孫娘は越後長岡人と結婚しているのです。

しかも、それぞれの結婚相手は作家です。

結構濃厚なのでした。

 夏目家の系図が有りましたのでリンクします。

★夏目漱石系図(近現代・系図ワールド)

系図の後にかなり細かな解説が有り、系図内にある各人物の解説されています。

そちらもどうぞ。

NHKで2016年に放送された土曜ドラマ 「夏目漱石の妻」の予告編

 

 

 12月9日と8日

12月9日は夏目漱石が亡くなられた日です。1916年12月9日に胃潰瘍で亡くなられました。

その前日、12月8日はご存知のように太平洋戦争の始まった日。

真珠湾攻撃の指揮官は山本五十六、長岡市出身、半藤一利は長岡中学卒で山本五十六の後輩。

その半藤一利さんは聯合艦隊司令長官山本五十六を書き映画化もされます。

(その映画化がきっかけとなり12月8日に長岡市河畔で祈りの花火が打ち上げられています。)

 

で、ご存知のように太平洋戦争の始まった時の放送は

 「帝国陸海軍は本八日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。」

 ご存知の人も多いと思いますが日本陸軍は真珠湾攻撃の少し前にイギリスのマレー半島を攻撃しています。

陸軍と海軍は何があっても対等なのです。

漱石はイギリス留学をしていますが当時は圧倒的最強国のイギリス。それこそ様々な思いが小説等に残されています。

 

12月8日9日は漱石・五十六・米英・松岡譲・松岡末利子そして半藤一利にまつわる不思議な二日間なのでした。

 

「私達は被害者だが加害者でもある。」戦に勝った記念日に追悼と平和を祈るのは世界広しと言えども越後長岡だけかもしれません。

 

 

 

追加(20161220)

夏目漱石と新潟県

先生とKを新潟県人と設定した理由(夏目漱石『こころ』パーフェクトガイド)

新潟県とはどういう土地なのか漱石は知っていたようです。浄土真宗とプロテスタントについて書かれています。ぜひお読みください、一分引用させてもらいます。

『こころ』は緻密に計算され尽くした作品です。先生とKが新潟県出身であることにも意味があります。

 

坊っちゃんは新潟出身? 帝大時代の漱石教え子説(産経新聞)(ひとりのブログ)

 これも興味深いお話です。ぜひお読みください。一部引用します。

無鉄砲で江戸っ子かたぎの主人公、実は新潟出身の英語教師がモデルだった-。

 

 ★漱石の主治医(にいがたみーっけ in Tokyo :新潟県)

 高田の医師が漱石の胃潰瘍の治療に携わっていたようです。

夏目漱石、幼い娘の同級生の言葉に絶句する。【日めくり漱石/5月19日】(サライ)

 新潟県の高田を訪れた折のお話、上記の主治医の関係でしょうか、高田(現上越市)を訪れたようです。

 

…夏目漱石本人との縁ですと上越市が強いようです。

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