相馬御風と糸魚川大火と都の西北早稲田と翡翠発見物語

このエントリーをはてなブックマークに追加

2016年12月の糸魚川大火

広い範囲が燃えて灰になりましたが、ギリギリ助かったところが「相馬御風宅」です。

直ぐ近くまで燃えましたが助かりました。

 

名前は聞いた事が有りますが、さて相馬御風ってどういう人でしょう。

1、御風って

2、都の西北早稲田

3、翡翠発見物語

 

1、御風って

Wikipediaをみると・・・引用します。

相馬 御風(そうま ぎょふう、1883年(明治16年)7月10日 – 1950年(昭和25年)5月8日)は日本の詩人・歌人・評論家。本名は昌治(しょうじ)。新潟県糸魚川市出身。早稲田大学文学部哲学科卒業。詩歌や評論のほか、早稲田大学校歌「都の西北」をはじめとした多くの校歌や童謡の作詞者としても知られる。

 とあります。

 souagyohu




 

そのお名前ですが「御風」

御は、思い通りに操る事。風を操るという名前なのです。

 糸魚川はとにかく風が強くてしょっちゅう大火になっていました。

Wikipedia「糸魚川市の歴史」によりますと

1806年、1814年、1816年、1826年、1834年、1873年、1904年、1911年、1932年に大火が記録されています。

昭和以降対策されたようで、ほとんど大火は無いのですが相馬 御風の生れる前と生きた時代(1883年- 1950年)は大火が頻繁に起きた時代。その意味だったのかどうかは解りませんが「風を御す」ことがとても大事な時だったように思います。

糸魚川を考えると「御風」は実に糸魚川らしい名前と言えるでしょう、全く別の意味だったのかもしれませんが。

 

 ★相馬御風宅(グーグルストリートビュー)

 

2、都の西北早稲田

Wikipedia「相馬御風」によりますと「日本の詩人・歌人・評論家」となっております。

学校の校歌の作詞を多く手掛けられていまして、特にあの早稲田大学の「都の西北 早稲田の森に・・・」と始まる校歌はあまりにも有名です。

 

作詞にはこういうのも有ります、待ち焦がれたのは越後の春だったのかもですね。

 「赤い鼻緒のじょじょ履いて」、じょじょはいろいろ検索すると草履のようです、春が来ないと草履を履けないって雪国っぽいですね。

 

その他、良寛の研究に携わったとのこと、東京のみならず郷里新潟県糸魚川に帰ってからもおおいに活躍されたのが相馬御風の特長みたいです。「御風と良寛」(糸魚川市)

 

3、翡翠発見物語

先のWikipediaによりますと

地元に伝わる奴奈川姫伝説を元に、糸魚川でヒスイ(翡翠)が産出するとの推測を示したことが、1938年(昭和13年)に同地でのヒスイの発見につながった。

とあります。

とにかく糸魚川の翡翠はその流通を調べることで日本史はおろか東洋史においても大きな影響を及ぼした大発見なのです。

奴奈川姫伝説が糸魚川に有り、その中で姫は翡翠を身に着けていたとかで御風が翡翠があるのではないかと発想し、それで探索して見つけられたという説があります。

糸魚川産翡翠」に翡翠に関わる話が詳しいです。一読をどうぞ。

後半の「翡翠の再発見」に書かれています。

糸魚川の翡翠は謎の部分が多いまさしく伝説の宝石ですね。

 

と、いうことで、相馬御風さんは東京で活躍され、郷里に帰ってからも様々に活躍された実に才能にあふれたかただったのですね。

 




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA