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江戸末期小氷河期(幕府崩壊の遠因?)に記された北越雪譜渋海川ざい渡りは、天塩川解氷 | こしくわ
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江戸末期小氷河期(幕府崩壊の遠因?)に記された北越雪譜渋海川ざい渡りは、天塩川解氷

江戸時代後期、いくつかの飢饉(天明の大飢饉:1782年~1787年、天保の大飢饉:1833年~1839年)が有って、対処できない幕府官僚に更に黒船がやって来てバンザイとなったようです。
飢饉の原因は小氷河期らしく、そのころ越後の渋海川は冬に氷結して居たようです。

鈴木牧之の北越雪譜の【渋海川ざい渡り】は春に氷が砕けて流れるさまを近隣の人は【花見のように】弁当を持って見に行ったと記しています。
どんなものかと想像するだけでしたが、先日その有様のビデオ発見。

北北海道の大河「天塩川」では結氷が融け砕け一気に流れるようです。
まさに【天塩川ざい渉り】
花見のように弁当持って見に行ったというのは頷けます。

江戸時代後期、越後は今の北北海道の気候だったようです。

※地図は国土地理院地理院地図電子国土Webより

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緯度にして約8度北に有る天塩川、北海道はあの大きな面積で新潟県と同じくらいの米しか取れません。

越後の国が北北海道並みの気候だった時代、おそらく東北地方はもっと寒冷だった訳で、大飢饉位なったのも当然ですね。

で、黒船がやってきたのも北の寄港地が凍って行けなくなったため、南方の日本に寄港地を求めてやって来たとすると、江戸幕府はやはり気候変動によって滅んだと言えそうです。

では最後に天塩川解氷の豪快なビデオをどうぞ。

 

 

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