※郷土の歴史・伝説が巨大遺跡発見によって変わるのではないか、素人の好奇心と妄想の経過です。その4
柏崎市南条に有る佐橋神社に佐橋の庄を預かった毛利氏の館が有った。
という文献を読み出かけた。
1、佐橋神社はネット上で詳しい情報が乏しく、手掛かりは八石山の付近らしいことです、あの山がそれ。もう直ぐですね。
2、大きな木に「ごぼう庵入口」とだけ書いてありますがこれが入口です。最初通り過ぎました。
佐橋神社はこのごぼう庵と一緒の丘の上の敷地に有ります。
3、ここから境内に入ります。看板が左右違います。右側がごぼう庵、左が佐橋神社です。
どうしてよいか解らずにここに車を置いて歩きました。
4、坂を上がると左右に建物が有りました。看板通りに左に行くと折り返した奥に神社のようです。
5、右下を見ると位置的にごぼう庵と思える建物と丘中央部が見渡せます。
ごぼう庵が何なのかは不明でしたが、ググったら解明、「農産物加工室兼住民憩いの施設」だそうです。参照:柏崎日報
6、これが佐橋神社、右奥に何か特別の棟が有ります。周りを見ましたが特に変わったものは有りません。製鉄関連の何かが有るのかとぐるりと廻りましたが何も無かったです。
7、柏崎青年会議所が設置した石のモニュメント、丁寧に解説されています。
貴重な文章が記されています。
- ここを拠点に七か村を領有経営した。
- 鯖石川の語源になった。
- 越後毛利、西国毛利の発祥の地
8、神社の丘の上からは北条方面がとてもよく見えます.
9、謎の石が点在しています。
10、神社の裏手に行くと「南条古城跡(南条毛利館跡)北条毛利街道」という看板が有りました。
11、製鐵跡地へ向かう途中に渡った鯖石川。写真中央の森がおそらく佐橋神社が有る森。
左手の山は八石山。
12、鯖石川の北側、柏崎平野方面です。
雪融け時期のせいも有りますが水量豊富な川です。
鎌倉初期くらいまで、海もこの近くまで入って。船の浮かべられる沼地・湿地帯だったように思います。日本のほかの地域と同じように。
地図
国土地理院地図より
鯖石川と小高い丘で、ほぼ要塞の感じのする毛利館でした。
製鉄所管理・製品流通からみると製鉄現地に担当官を常駐させたり、製品の卸ルートを押さえる位置に館が有ったように思えます。
背後は八石山でその先は関東に通じています。
先にも述べたように昔の海は佐橋庄の近くまで入江状に入って来ていた気がします。
そう思うと佐橋神社・佐橋の毛利館は絶妙な位置にあるような気がします。
佐橋神社の部、おしまい。
関連まとめ
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