毛利氏と製鉄調査の旅 2、製鉄遺跡編

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※郷土の歴史・伝説が巨大遺跡発見によって変わるのではないか、素人の好奇心と妄想の経過です。その5

佐橋神社を見て、その砦状の跡地から遥か昔の毛利氏の存在がうかがえた気がします。

前に河川、背後に山塊、守りに適した環境でもありました。

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佐橋から軽井川の製鉄所遺跡は直ぐ近くです。

 昔は今で言う平野部は海か湿地帯、通行には不便、山に安全で快適な道が形成されていたとききます

 

 1、柏崎工科大学と柏崎産業大学と広大な夢の森公園のある谷筋から丘に登ると柏崎フロンティアパークに出ます。

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 2、団地の入り口意ある案内板の通りに進むとここに来ます。とても遺跡には見えずぐるぐる回りましたが地図の上ではやはりここなのです。

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 3、車を降りて近づいてみます。看板も遺跡のいの字もありません。斜面と溝が有るだけです。

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遺跡と思われるただの空き地に五寸釘みたいなのが見えたので撮影しました。

家に帰って調べたらこういう釘も作っていたらしいのでこれも遺跡の一部かもしれません。

奈良時代から平安を超えて鎌倉初期までの製鉄と鉄加工の巨大コンビナートの一端なんですね。ここは。

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この製鉄所がいつごろのものでどのような事がされていたか、その他規模などこの場では全く解りません。どこかで展示説明しているのでしょうか?ネット上でもこの場所でもこの遺跡の行方はわかりません。少し残念でした。

 

5、近くの雑木林、製鉄には鉄、この地では砂鉄がもちろん大事ですが、恐らくもっと大事なのが燃料としての木材。

最初、鉄鉱山・産地で製鉄に適した土地を見ようとしていましたが、毛利氏を調べるにつれて「森=毛利」も有り、さらに佐橋の館の位置が八石山の麓であり、鯖石川流域で黒姫山の下流であることを見て、さらに巨大な米山の山塊が製鐵跡地の眼と鼻の先であることを見て燃料の安定供給可能な土地こそ製鉄に適した土地なのだと気づきました。

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 6、遺跡のある工業団地から見た八石山。麓まで僅か一里ほどです。

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 7、米山の山塊もすぐそこ。この製鉄所跡地に来てみるといわゆる刈羽三山の木材が手に入り易い場所なのが実によく解ります。

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 8、土地の特長、 鉄も燃料も運搬しやすかった?入江みたいな谷が山々に入り込んでいます。段差が無く、山の谷ではなく海底もしくは沼の中で平らになった感が有ります。

船で砂鉄も鉄製品も薪燃料も運んでいたような気がします。

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柏崎市軽井川の製鉄遺跡は工業団地造成工事で発見された。

市と工事業者にはいい迷惑である。

一刻も早く企業を誘致して今住んでいる人に役立てることがなんと言っても一番大事な事。

遺跡発見はいい迷惑だったと思う。

しかも1カ所ではなく方々で見つかるという大規模遺跡だったのである。

関係者の静まり返った事務所の雰囲気が想像されます。

でも、折り合いをつけて工業団地は今日稼働しています。

今の時代に役立つことが第一ですね。

でも、今となっては遺跡を今少し残してこの地域の中心に据えても面白かったように思います。

何しろ見つかったのは古代の最先端工業技術、そのコンビナート、恐らく広範囲な流通システムも広大な森林の管理能力も必要な大変な場所だった訳です。

既にそこにあるか造成中の工科大学・産業大学・自然体験公園・先端工業団地。

それらの研究対象でもあり先達でもあり未知の経営技術がそこにあったのだ。

これほど象徴となり、地域一帯に結び付く、そんな凄いものが他に用意できるだろうか。

この遺跡がこの地域で果たす役割は果てしなく巨大だったように思います。

きっとすでに調査は進んでいるのでしょうが、 鉄の成分は産地で大きく異なるそうなのでその成分で辿ればどこまで柏崎の鉄が流通したのか、何時代まで市場に有ったのかなど解るでしょう。

それをもって毛利氏の、鎌倉幕府の関与はどうだったのかわかりそうです。

まさに柏崎工科大学と柏崎産業大学と自然公園の結集で東日本の歴史が大きく変わりそうな気もします。

 

繰り返しになりますが、砂鉄の集積、燃料としての木材の調達、里山の木材伐採ローティーション、製鉄技術者の管理、製鉄・加工技術の独占、鉄製品の流通販売の確立、流通街道の整備、武具製造の管理等極めて高度な管理技術が必要だったように思います。

国営化となれば鎌倉幕府としては毛利氏に頼るしかなかったように思います。

個人の勝手な妄想なので、公式機関の調査が待ち遠しいです^^

参考:越後柏崎の巨大製鉄所を平氏追討令旨の以仁王(もちひとおう)はおさえた?(この遺跡情報があります)

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