4年経て描かれた当時の絵日記、南相馬からの「東北の関西人」震災直後動物をいっぱい助けた事とか・・

日記・ブログが残したあの時の真実。

4年以上過ぎると東日本大震災と原発事故も少し昔になった気もします、しかし、その時国も県も市も先が見えない中で市民が綴った4つのブログは多くの事を避難者に伝え、励まし、それらのブログは風化せずに今も記録として残っています。

4年間、色々なことが原発事故以降語られてきました、でもこのブログの行間にきっと市民たちの真実があるのだと思います。

追ってみます。

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まずは、南相馬に尽くし、動物もいっぱい救って・・・ というお話

東北の関西人

・・・被災者と被災地で働く全ての人がまた普通の生活に戻れますように。・・・

ブログは震災直後から書かれています。冒頭をご覧ください。

2011-03-11 じ…地震!

  • 揺れました そして近くの原発がヤバイらしいです…

03-12 地震夜明け

  • さっきから救急車がひっきりなしに走ってる 近くの高校が死体安置所になっていて…原発は未だに非常事態宣言中…

03-13 3日目

  • ツイッターで全国の人から たくさんの情報を頂いています

  • もう少しわかりやすく 生きるための情報を流して欲しい

 


 

 ・・・こういう出だしでブログ綴られていたのです。避難生活の苦労がよく解るブログでした。そしてその後みんなを勇気づける行動をとられたのです。(これは南相馬ブログ新聞にも掲載され、印刷され避難所に届けられました。)

 

そして・・・

今年、4年目の3月に当時を振り返って作者は絵日記をまとめられました。

その後のお話も書かれていました、原発事故が無ければと思う事が多く、胸を締め付けられました。

が、モリオカさんは淡々と描いています。

これです。

ブログ:イラストレーター モリオカマリ 犬とダイエットの日々

2015年2月最後の日、震災を書く宣言をされました。

4年かかりました。こうやって書ける境地まで。そういう事だと思います。

 

一部を紹介します。(1か月間に渡る長編絵日記です)

2015-02-28 3月からの日記のお知らせー東日本大震災についてー

mari01

本文より・・・

やっぱり何かしなくてはいけない気がして。

経験者で、絵を描けるという運があるのだから出来ることがしたい。

あまり湿っぽくならないように、ありのままを淡々と描きたいと思っていますので、

お付き合いしてもらえると幸いです。・・・

 

2011年3.11 地震発生!

012

 本文より・・・

暖かく、いいお天気の午後でした。

「マルスもそろそろ1才だし、ちゃんと訓練しないとねー」と訓練士さんに連絡を取り、

11日の午後は庭でワタシと夫、訓練士さんとマルスでいろいろな訓練をしていました。

ゴゴゴゴゴ…と低い唸り声があったと思うと、

立っていた地面が大きく波のように揺れ始めました。

本当に波打つという言葉が当てはまるような、うねうねとした気持ち悪い揺れ。

3人とも中腰になり(座ることも立つことも出来ない)、揺れが収まるのを待ちました。

それは本当に長い時間で、永遠に続くかのような錯覚に陥りそうでした。

何かいろいろなことを考えた用な気もするし、何も考えられなかった用な気もしますが

細かいことは覚えていません。ただ怖くて早く収まるのを待っていました。

・・・・

 

 眠れない夜

 05

本文より・・・

 犬は神経質そうにクンクン鳴いていました。

余震が怖かったのと、私たちのピリピリした空気を察知して

落ち着かなかったんだと思います。

産まれて1年しか経っていないのに、こんな災害に会うなんてマルスも可哀想。

 

 避難勧告

 06

 本文より・・・

義母が「早く逃げなさい」と言いにきたとき、夫はまだボランティアに行っていました。

軽自動車に犬を乗せて行かなくてはいけないので荷物なんて全然乗りません。

おにぎりをタッパーに詰めて、毛布をぎゅーぎゅー押し込んで車を出しました。

集めても半分以下にしかならなかったガソリン。

順調に行っても新潟まで保つか保たないかでした。

 

 そして、その後南相馬市に帰りました。そして・・・

鳥たちの世話を

 07

 本文より・・・

残された動物たちはたくさんいました。

犬やネコの他にもいろいろです。

少し山の方にあって、ボランティアの方がなかなか見つけにくい場所にあった

旅館の飼育動物たちがえさも水もなく、弱っていたので通い始めるようになりました。

でも、全部を飼うのは無理なので、Twitterで飼ってくれる人を探すことにしました。

汚染の強い地区だったので繁殖させないという条件をつけたので

なかなか保護先は見つかりませんでした。

 

これを解決します。ドラマのような映画のようなお話しでした。

詳しくはこのPDFを 南相馬ブログ新聞0422

blogshinbun

 そしてこの後、もっと困難がやってきます。

なんで?そんな!

それは本編をお読みください。

 

そして最後の1つ前のページ

そしていま

08

本文より・・・

そして私たちはそれぞれの道を歩き始めました。

まだまだ地震の爪痕は私の心の中に残っています。

でもマルスがいるから。

友だちがいるから。

親が、兄弟が、仕事があるから。

私はこれからもがんばります。

 

 

絵日記は1か月間に渡って描かれています。

上記はほんの一部分の抜粋です。

もっといっぱいのエピソードが絵日記になっています。

絵日記のスタートは冒頭に紹介した2月末の」ページです。

どうぞ そこ からお読みください。

 

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