熊本地震の大変な状況。
大量の支援物資が倉庫を埋め、どこから来た何のための物資なのかもわからないで溜まる一方みたいです。善意が一方で被災地を苦しめます。(被災地を仕切るのは行政です、倉庫がいっぱいだからその辺に積んでおけとかいう安易な判断はしません、暖かい善意の支援物資をきちんと屋内の安全な場所に保管するのです。徹底的に空き倉庫・空き部屋を探して保管します、だから大変なのです。)
で、ですね、こんなの10年以上前の中越地震でもある程度コントロールできていたのですよ。
全村避難の山古志村は長岡市にある新潟県の出先に災害対策本部を置きました。
自前の倉庫が無いにもかかわらず支援物資が送られてきます、山古志村は長岡市等に倉庫や体育館を借りて保管。
でも、どんどん善意の支援物資は送られてきます。
山古志村は借りている立場で無理は言えません。
「なんとかしないと」
山古志村の広報担当者はWebに詳しい長岡市内のNPOに「山古志村災害対策本部」サイトの立ち上げを要請。
その日のうちにWeb上で最も強力なツール「ブログ」で災対本部のサイトが立ち上がった。(10年以上前はBLOGなど多くの人は知らない)
ここで、山古志の担当者は「仮設住宅に移る時、コタツが無いと山古志の人は冬を越せない・暮らせない。コタツを募集したいが、もう倉庫がパンパン、必要台数だけ欲しい。どうしたらいい?」
Web詳しいNPOのおじさん「ブログで頼もう「○○台コタツが必要です。いっぱい来ても大変なので、必ず本部に電話して「何台送るよ」と言ってから送ってね。」ってブログにアップしました。
で、きっちり必要台数が集まりました。(余り無し)
そんなことでいいんですきっと。
ただ単に「コタツが必要です」と頼んでいたらパニックだったでしょう。
山古志村の広報担当者(村長の直下)は、その後もほぼ毎日そのWeb専門NPOと電話、どういう風に情報を出すべきか、そして出さないべきか。
「本音を伝えればみんな解るさ」
かくして山古志村は実に見事に仮設住宅期(3年間も!)を乗り越え、山古志村に復帰したのでした。
最後に帰ったのは約束通り村長。
山古志村の広報担当者とICT情報に詳しいNPOは物語を紡ぎ、マルチ作家(大野ikkoさん)と出版社(文藝春秋)と地元の大学(長岡大学)とに伝わり「山古志村のマリと三匹の子犬」になりました。
10年以上前にWebを使い上手に扱っていた支援物資情報を、現代はもっとうまく、本当の数字・本音であつかってね。
という意見でした。