児童たち(希望が丘小学校)に受け継がれ磨かれた演劇の結晶「昔、長岡で戦争があったよ」で号泣する

小学生のやる演劇だし

先生方は左思想か、もしくは公務員として当たり障りのない事をやるのかな?

興味をもちつつも(観劇参加に手を上げた)がっかりしても良いようによけいな事を考えていましたが…

そんなのあっという間に吹っ飛んで私はひたすら涙ぐんでいました。

 

傑作演劇でした!

 

12月8日、日本軍によるハワイの真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まった日。

(実は同じ日に陸軍はマレー半島に上陸、英国と戦闘に入った。海軍と陸軍は対等、日本は戦争に勝つことより陸海軍のプライド対決の方が優先だったという話も有ります。他の国も似たようなものでしょうが)

「昔、長岡で戦争があったよ」でいいのでした。

長岡空襲が有ったことのほうが強調され被害が大きく扱われますが、その前に長岡にも戦争社会はやって来ていたのです。

なんと優れた脚本でしょう。

空襲前に戦争をする社会はやって来ていたのです。

 

簡単にストーリーを紹介すると

現代の小学生が空襲前の長岡にタイムスリップしてその頃の暮らしや戦争で起こる様々な事を体験し、空襲も体験するというものです。

 

この演劇は長岡市立希望が丘小学校が行っています。毎年6年生だけで上演されているようです。

5年生以下は毎年見ているのです。先輩たちの舞台を何回も見て、演技の良いところを学んできているのでしょう。(役はオーディションで決めるとかメイキングビデオで言っていました。)

先生方もおそらく毎年改善してきているのでしょう。

それで左右の思想にも偏らず、戦争の社会だけを取り上げた脚本に磨き上げられたのでしょうか

火薬は花火にもなる。は、爆弾を花火にかえようという長岡の訴えに沿っていますが

劇の主な役者の「お父さん」の考え方が長岡の花火師嘉瀬さんに実に良く沿っていました。

何回も何回も涙が出てきたのですが、脚本が良かったのかどうなのかよく解らなかったのですがやっぱり小学生の役者たちのうまさからでした。

後日ケーブルテレビで放送されたニュースダイジェスト版でもじわっと来ました。

児童たちのセリフの「言葉の力」に動かされていたことが解りました。

(実はこれには会場となったリリックホールの音響が抜群であることも役立っていました。子供たちの声量が大きくさらに音響が良くて多くの人がマイクを付けているのかどこかにマイクを置いて音を拾っているのかと思いましたが、聞くところによるとマイク無しであの音量だったようです。いかに練習に励まれたのか、素晴らし。)

 

上の写真は、慰霊の花火を上げる時の児童役者達の並び。

本当に良かった。