これは山城の森林監視機能:八石山と八石城から製鉄用家事用森林伐採までの妄想

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八石山と八石城と佐橋庄・大江・毛利の関係をネットで拾ってゆきます。

佐橋庄と小国、鯖石川流域と渋海川流域を隔てているのが八石山の山並み。

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佐橋庄南条館は八石山麓の丘に建ち、鯖石川最下流の渡河可能地点であり、街道が通り、重要な位置である。

 

hachikoku

 

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善根城(八石城)—「未来の大富豪」の日記

http://d.hatena.ne.jp/mirainodaifugoo/20090610

jinja

  • 善根とはゼゴンと読む
  • レポート内に毛利八幡神社の石碑の写真がある。(文章内では触れられていない)
  • 毛利八幡神社についてはググっても何も見つからない。
  • 八幡神社についてグーグルの記述「源頼朝が鎌倉幕府を開くと、八幡神を鎌倉へ迎えて鶴岡八幡宮とし、御家人たちも武家の主護神として自分の領内に勧請した。それ以降も、武神として多くの武将が崇敬した。」

善根城

http://zyousai.sakura.ne.jp/mysite1/kasiwazaki/zegon.html

  • 写真と解説が詳細

 

エッセイ 「八石城について」 ・・・山崎 正治・・・へんなか

http://hikozen.holy.jp/hennaka/08.hatikokuyama/11.html

  • このほか東側にはこれと言った要害はない。要するに仮想敵は東側になかったと見るべきである。
  • 『中鯖石村誌』第十三節:本城ハ皇紀一千九百年代ノ頃大江毛利ノ一族来リテ拠リシトコロニシテ爾来数百年間相襲グ、城主姓ヲ佐橋トモ称セリ、坪野広済寺記録ニ佐橋庄地頭代毛利朝広公云々トアルヲ以テ見レバ鎌倉時代ノ当初ヨリ戦国ノ際ニ至ル迄地頭代トシテ居城セルモノナランカ、・・・
  • 『刈羽郡旧蹟志』:八石山は数峯に分る其最高峯を大八石、次を桝形、又次を大石と称す、桝形即ち城址なり、善根の石川より絶頂に達する大約一里・・・
  • 『温古の栞』第拾二篇:刈羽郡佐橋荘八石山の頂上に古城跡あり、此れは大江広元の孫経光以来毛利家の居城にして、・・・
  • 小国盛光系図(小国郷土史所載):頼盛(小国頼連の子)文治三年(一一八七)越後上田合戦の時高名ありて是より魚沼三島頚城三郡郡司となり八ヶ谷城に住す。

個人的な感想

八石城の時代は鎌倉時代にさかのぼれるのかどうかはよく解りませんが、佐橋庄の人達が逃げ込む場所が小国保だったような気がします。善根城が西側を防御なのは当然。西側からくる敵、ただしそれは佐橋庄の毛利一族では無い。毛利と敵対する人達?

もともと小国には平家追討の源氏の小国氏、佐橋庄には鎌倉幕府を作った大江広元の子息が居たわけで仲間だったと思われ。

城の機能を森林資源の監視もあったと見る

小国の植物に詳しいページには八石山の頂上まで全て伐採されてきたことが記されている。(小国植物概要:そのうえ永い間、生活を維持するために平地も山地も、すべて田畑や燃料採取に利用され、標高500m余りの八石山頂でさえ、薪炭材として何年毎かに伐採がくり返されました。)

八石山は大きな山、森林資源は巨大なものであったでしょう。

山城というのは森を監視・守る機能もあったとすれば(炭田・油田みたく大切な資源を守る)まさに軽井川・柏崎方面の製鉄産業による八石山での必要以上の木炭用の雑木伐採を警戒していたのかもしれない。

そう思うと、日本各地なぜあんなに不便な山奥に城を作ったか、逃げ込んで籠城するためだけでは無く森林資源の監視もあったのではないかと思える、そんな妄想でした。

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