鈴木牧之はなぜ北越雪譜を書いたのか、それは江戸後期のブログだった。

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北越雪譜は何故か書かれたのか

鈴木牧之はその理由をちゃんと北越雪譜に書いていました。

hokuetsuseppu

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既に有名な話かとも思うのですが、私は知らなかったし、ネット上でもなかなかみつからなかったのでここに書いてみます。

  1. 実際に書かれたものを箇条書き
  2. まとめ
  3. 北越雪譜は江戸時代のブログ

 

北越雪譜二編 巻之二に 「芭蕉翁が遺墨」というのがあります。

その中に書かれています。

 

1、実際に書かれたものを箇条書き

箇条書きでピックアップします。

  1. 越後の雪をよみたる歌あまたあれど、越雪を目前にしてよみたるはまれなり。(実際に見てよんだものはまれということかと)
  2. 西行山家集頓阿草庵集にも越後の雪の歌無し、その他、越後の雪の歌は実際に見たものでは無い。
  3. 松尾芭蕉も新潟にて「海に降る雨や恋しきうみ身宿」寺泊にて「荒海や佐渡に横たふ天の川」と歌うが夏秋のものであり、雪は見ていない。
  4. 近年も越後に来る文人墨客あまたあれど、秋になれば雪を恐れて故郷に逃げ帰るゆえ、越雪の詩歌もなく紀行もなし。
  5. 稀に他国の人が雪の越後に居ても文雅なきは筆にのこす事なし。
  6. 越後の三条の崑崙山人が北越奇談を出版したが一字半言も雪の事をしるさず。
  7. 今文運盛んにして新板湧くがごとくなれども日本一の大雪なる越後の雪を記したる書無し。
  8. ゆえに吾が不学をも忘れて越雪の奇状奇蹟を記して後来に示し、且越地に係りし事はしばらく載せて好事話柄とす。

 

 2、まとめ

ひと言でいえば

越後の雪を実際に見て本当の事を書いた人が居ないので、学は無い私だが書いて将来に残すので良い話題にしてほしい。

という事だと思います。

先にも書きましたが、やはり小氷河期の越後や江戸を見て今こそ雪国の話を江戸や全国に伝えようとしたものと思います。

 

3、北越雪譜は江戸時代のブログ

北越雪譜の特長は読みやすい長さの文章とその事柄に関した挿絵が多い事。

美しくかつ精密な絵で資料としても素晴らしいものとなっている。

その絵も牧之自身が描いているのだ。

適切な文量と自分が撮った写真をアップして出来事を記す、それがブログならまさに北越雪譜は江戸時代のブログ。

現代もブログを書籍化するというケースは多く、しかも多くのベストセラーも出しています。

 「プロの方々が誰もやらないから素人の私がまとめてみました。」

まさに現代のブログの執筆精神に似たものだと思います。

どうぞ読んでみてください。

 

北越雪譜 (ワイド版岩波文庫)

 

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