住宅密集糸魚川大火を見て、戦争で焼けてできた新都市も悪いばかりでないと思う塞翁が馬

このエントリーをはてなブックマークに追加

新潟県糸魚川市の大火、お見舞い申し上げます。

今回焼けた街は古くは中心街の道路に繋がっていた町内のようで、かなり古い建物もあったようです。新潟県最古の造り酒屋「加賀の井酒造」も全焼したようです。残念なことです。

糸魚川の火災 江戸時代創業の酒蔵にも延焼(NHK NEWS WEB)

itoigawa




 

報道写真を見たり、やグーグルストリートビューで焼けた街を廻ってみると、その住宅の密集具合がわかります。

裏路地は激狭ですし、車道も狭いですね。昔の街道でしょうか。

以下が今回の大火付近の地図です。

2度燃えて古いものが無くなった街

 同じく新潟県で中央部にある長岡市は江戸時代の町並み・町割りはあまり残っていません。

戊辰戦争の長岡城攻防戦と太平洋戦争の空襲で2回も焼けているのです。

中心街の住宅同士がぴったりくっついているのは変わりませんが道路がかなり広くなっています。

これは主に空襲の後に今後のまちづくりを考えて大きく変えたもののようです。

総務省の「国内各都市の戦災の状況 > 長岡市における戦災の状況(新潟県) 4.復興のあゆみ 4-2.復興都市計画事業の実施」に詳しく出ています。

…道路については、交通機能と防火・景観に配慮して、当時としては破天荒の広さといわれた幅員36メートルの大手通りの整備が決まった。これらは、商工業都市としての復興と発展を想定した大胆な計画だった。また、戦災復興区画整理は、住みよいまちの再建を目指し、市街地を5地区に分けて計画された。…

 このように、防火としての機能ももったまちづくりがされていたのです。

 2回も燃えて、古いものがほとんど何も残っていないのは残念ですが一方で災害に強い街になっていたのです。

人間万事塞翁が馬ですね。城下町なのに城下町らしいものは何も残っていません。

が、全国でもまれだと思うのですが戊辰戦争と太平洋戦争両方で燃えた街は市民に戦災・災害に強いまちづくりになっていたようです。

その後の水害や地震などの復興に大いに寄与し、その後も全国の災害への支援に繋がっています。

 

糸魚川大火はまことに残念、被災者は実に大変なことになりますが、支え合って新しいまちづくりに挑んでいただきたいものです。

やはり人間万事塞翁が馬 です。

 




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA