チューリップが県の花になっているのは新潟県と富山県。
どちらもチューリップの生産が全国1位との事。
ただし、新潟県は切り花で日本1、富山県は球根で日本1らしい。
富山県の熱の入れようは凄まじく、テレビ局の名前までチューリップの名前を付けている。
隣同士2県で共同してチューリップを盛り上げていけば良いと思いますが、そういう事でどうやら県はライバル関係であるらしくどうしても1番でありたいようです。
で、その中でどちらが先にチューリップの栽培を始めたか論争も有るようです。
Wikipediaを見てみると(引用させていただきます。)
日本には、江戸時代後期に伝来したが普及するに至らず、大正時代に入って、ようやく小合村(現:新潟市秋葉区)で本格的な球根栽培が始まった。…
しかし、新潟県は大正8年(1919年)なのに対し、富山県では大正7年(1918年)に東砺波郡庄下村(現:砺波市)の水野豊造により栽培されていたことから、少なくとも本格的な栽培は富山県が日本初となる(それ以前より栽培はされていたが、球根状態での保存が確立したのがこの時期である)。
ただし、このWikipediaの小見出しは「日本への伝来と栽培」となっているのにもかかわらず「球根栽培の確立した時期」にすり替えられています。
では、伝来は江戸時代後期との事ですが栽培はどうだったのでしょう。
実は長岡大学のゼミで別のテーマに取り組んでいる中「初めての栽培について」で発見されました。
その長岡大学のゼミまとめがネット上に上がっています。
★神谷の魅力発信による絆結び ―神谷の魅力を知り・伝え・つなげる―(pdf)
長岡大学 高橋ゼミナール
この中の目次の一部を引用
3 第1班の活動内容
3.1 神谷地区の結束に良さと酒宴の関わり
3.2 新潟県におけるチューリップの先駆者・水島義郎氏の功績
3.3.2 チューリップに纏わる文献調査
3.2.3 人物の経歴
3.2.4 新潟県におけるチューリップ略歴
3.2.5 調査のまとめ
その中の3.2.2 チューリップに纏わる文献調査から引用
「新潟県でのチューリップの栽培は明治37年(1904年)、三島郡来迎寺村の水島義郎が東京妙華園から球根を導入したことに始まる。(「新潟県園芸要鑑」)
さらに解りやすい略歴からも引用
3.2.4 新潟県におけるチューリップ略歴
・1904年ごろ 水島義郎が高橋九郎よりチューリップの球根を入手
新潟県三島郡来迎寺村道半にて立派に花を咲かせる
(新潟県で初めて咲いたチューリップといわれる)
その後東京妙華園やオランダのクレーラ商会から球根を購入し、
明治末には100品種余を試験栽培した
・1911年 新潟県農会編「新潟県園芸要鑑」刊行
水島義郎のチューリップ栽培について紹介される
また、西蒲原郡味方村でもチューリップを試験栽培していたことが記述されている
・1914年 小田喜平太が自宅の庭でチューリップを試験栽培
さらに年表には意外な事実も記されていました。引用させていただきます。
・1925年 新潟県は初めて全額国補1720円の花卉球根奨励費予算を計上
新潟県球根原種栽培場を小田喜平谷委託
チューリップ代表品種ウイリアムピットを初輸入
小田喜平太、横浜植木株式会社を通じ25万球を輸入
富山県から視察、指導をする
Wikipediaにあった「最初はうちだ」論争を見直すと
新潟大正8年(1919年)か富山大正7年(1918年)というものがありましたが
栽培自体は1904年に新潟県の神谷集落で行われており、これについては「日本中で栽培しようとしたが思うようにゆかなかったが国会議員高橋九郎が新潟に球根を持って行き栽培したら(水島氏栽培)うまくいった。(オランダ・ヨーロッパの気候に新潟は似ていた)こととされています。だからチューリップは今でも新潟と富山という類似気候地域の特産になっている。
さらに 1911年 新潟県農会編「新潟県園芸要鑑」刊行 水島義郎のチューリップ栽培について紹介される(新潟富山論争の7年前)
とあり、文献として調べられるものになっていたわけです。
で、1925年に富山県から視察が来て指導をするに至る訳なのです。
おそらくここから、チューリップ栽培に適した新潟富山両県による切磋琢磨が始まったものと思えます。
富山県は富山県でこの話に似たものはあるのかもしれませんが、越の国の特産品として共に育てて行くことが望ましいですね。
それよりも、オランダ・ヨーロッパの気候に似ている新潟県・富山県と称することが出来そうなわけで、共にそういう方向に行きましょう。
奥深い長岡大学高橋ゼミの取組みでした。ありがとうございました。