全く知らなかったのですが
ある時、なぜ越後の柏崎に桑名藩の領地があって戊辰戦争の折に西軍と戦ったのか、なぜ西軍に大損害を与えたのか、まるで「峠」の長岡と同等の戦いをしていたんじゃないかと興味を持ち調べていたら・・・。
あの会津藩の松平容保公と桑名藩の松平定敬公は兄弟であると知る。
幕末歴史ファンには当然の事なんでしょうが大河ドラマにこのような話しってなかなかないのでびっくり!
桑名の方は鳥羽伏見で戦うが恭順となり、松平定敬公は柏崎にて西軍と戦う、その後は兄の居る会津に行ったり波乱万丈だったようです。
で、そうこうしているうちに他に兄弟が大勢いてみんな凄くてびっくり
兄弟を上げます。
父はこの方 以下Wikipediaから
松平 義建(まつだいら よしたつ) 美濃高須藩の第10代藩主 正室は水戸徳川家
長男:源之助 、夭折
次男:慶勝 尾張藩尾張徳川家養子
三男:武成 浜田藩越智松平家養子
四男:整三郎、夭折
五男:茂栄 高須藩主(義比)→尾張藩主(茂徳)→一橋徳川家養子(茂栄 徳川慶喜の後)
六男:某 戊辰戦争で切腹
七男:容保 会津藩会津松平家養子
八男:定敬 桑名藩久松松平家養子
九男:鐡丸 、夭折
十男:義勇 高須藩主
娘:上杉茂憲正室(米沢のあの上杉家)
で、この中で慶勝(尾張)、茂栄(一ツ橋家)、容保(会津)、定敬(桑名)を
高須四兄弟と呼ぶとの事。
(写真はWikipediaより 徳川林政史研究所所蔵品)
高須四兄弟(明治11年9月撮影) 左から定敬、容保、茂栄、慶勝
水戸徳川・尾張徳川・一ツ橋徳川・会津松平・桑名柏崎松平・米沢上杉
幕末・戊辰戦争・明治維新の錚々たるメンバーですね。
この一家めちゃ強いではないですか。
それぞれの正室などを調べるともっとスゴイ様相をみせますがここまでとします。
西軍は怖かったでしょうね。
良い情報ですね。ところで、高須クリニックの高須克弥先生の先祖と高須藩の関係を知りたいところです。代々三河のようで徳川家との縁はありそうです。
高須クリニックの高須克弥先生!
そうですね~高須ですね。
肝のすわり方なんか見ていると武士の血を感じます。
とか思いながらググったらご案内の通りの事がありました。
これですね。
「徳川家康に施した懸命な介抱が、高須家のはじまりとなった。」(高須克弥財団)
http://www.takasu-foundation.or.jp/prof/human/history.html
代々医師なんですね。ありがとうございました。