さて、信濃川のただの工事跡じゃん
くらいに思って家に帰った訳ですが
フェイスブックにあげたら 「いったいそれは何なんだ」という声が有り
(やっぱり幾人の方には違和感のある不思議な写真だったのです)
森の中にコンクリートの柱が何本も並びまとまって桟橋風に幾つも信濃川に向かって伸びている。
その先端はテトラポットになっている。
で、家で見つけました。検索して。
出てきました、昔の地図。
昔と言っても戦後です。
国土交通省北陸整備局に有りました、凄い地図。
解説が凄かった。引用します。
「1946(昭和21)年度より継続事業として21年間の長期にわたって工事が続けられた。このため、工法や施工方法が逐次変化しているのが工事の特徴となっている。」
あらら、コンクリートの桟橋状の多重工事の後、その先端はテトラポットになっている。
これってこの堤防工事の歴史でしょ。
で、なにこの地形。
釜ヶ島ってまじ島だったのね。
洪水に襲われてばかりの・・・・。
それがとにかく凄い美しい水田になった。
ここは越後平野の最上流部。
こういう大工事が有って日本は飯が食える国になった。
で、
21年間の長期工事、工法や施工方法が逐次変化しているのが工事の特徴となっている。
が、ここはそのまま露出しているのでは・・・。
だとしたら現役で働く遺跡のような。
いずれにしても林の中の不思議な風景。
少なくとも信濃川を落ち着かせた工事であり釜ヶ島が島でなくなり美田地帯になった大事な工事であることは確か。
繰り返しになりますが、こうやって日本は食料の自給に成功したわけで、一級な遺跡だと思います。
この国の歴史が見える場所です。
とにかく、大水量の信濃川を手なずける。
先祖は凄かったです。