明治、新潟県は新潟府だった、京都府大阪府並み、9府のなかの一つ

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今の日本には都道府県というものが有ります。

東京都、北海道、京都府・大阪府、それ以外は全部県です。

東京都は首都だし、北海道はつい最近まで開拓地だった訳だし解ります。

で、京都府・大阪府は何?

この二つが特別なのはよく解ります。

江戸のひとつ前の首都、太閤さんの作った政都・商都、その前の首都は京都(室町幕府)。

大阪は江戸期を通して商都、京都は江戸期を通して天皇が居られた。

「府」は特別!

府って何でしょ。

Wikipediaおじさんに聞いてみます。

 

Wikipedia「府」

任那日本府・大宰府・台湾総督府・朝鮮総督府・内閣府(今日本に有ります)等々・・・

 

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で、明治期に9府というのが出来ます。

これもWikipediaおじさんに聞きます。

九府: 明治維新直後にそれまでの幕府支配地のうち、江戸町奉行の支配地および遠国奉行の奉行知行所を「府」と改めたもの。箱館府・京都府・大阪府・長崎府・江戸府→東京府・越後府→新潟府・度会府・神奈川府・奈良府・甲斐府。(ただし、奈良府は発足の2か月後に奈良県に改称。)

京都府・大阪府・東京府のほか開港五港のうち4つ(函館府・長崎府・新潟府・神奈川府)と新しい国造りの為の神道の聖地伊勢(度会府)、古都奈良府、よくわからないのが甲斐府。新撰組の近藤勇が貰おうとした国。武田信玄の国。やっぱり戦略的に重要な地なのでしょうか。いずれにしろ関東三国志と言われた越後・甲斐・相模が府になってました。

 越後府・新潟府は以下

 1868年(慶応4年)、新政府は新潟奉行所に代わるものとして新潟裁判所を設置した。裁判所の長官である総督には、当時新政府軍の北陸道先鋒副総督兼鎮撫使であった四条隆平が任命されたが、四条の肩書に明らかなようにこの時点で越後国内の多くは新政府軍の掌握下には入っておらず、四条自身も江戸に滞陣していた。したがって現地には裁判所の庁舎や組織があるわけでもなく、「新潟裁判所」および「同総督」とは実際には名目的なものにすぎなかった。なお、四条は新潟裁判所総督と同時に北陸道鎮撫副総督に任命されている。

 

商業的に巨大な新潟の町と、新政府に反抗した風土、そして明治期に日本一の人口を抱えた巨大な地域。

それが越後府・新潟府だったのです。

新政府にとって地理的・経済的・政治的にも新潟は極めて重要な地だったのです。

・・・そのまま今日に至っています。

上杉の時代から江戸期・幕末・明治・昭和・平成、これほど扱いにくい県は無いですよね^^

 

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