撮影していたのにアップするのを忘れていたのでアップ。
鎌倉幕府の政策の責任者大江広元の領地であり、その息子は毛利氏の先祖となった。
この南条、佐橋がいかに重要な地であったか。
それは妄想としてまとめてありますのでそちらをどうぞ^^「【まとめ】大江・毛利氏、鎌倉・伊豆、平将門まで武士は「鉄」。鯨波から山古志までで全時代のお宝歴史街道。」
ここではその館が有った地にその後つい最近まで住んでいた関氏が毛利氏の供養の為に建立した「毛利氏供養塔」
を紹介します。
1、下記は毛利氏の館南条館跡と八石山。右端の小さな森が南条佐橋です。
2、南条館の付近は鯖石川を徒歩や馬で渡ることができる場所として最下流です。鯖石川初めての瀬がおそらくここです。
ここまでこないと対岸に渡れません。街道はここまで内陸に入り込んでから曽地や西山方面に北上します。
3、小高い丘の上にある佐橋神社、ここに毛利館があったと言われています。
4、これが、毛利氏供養塔です。平成24年11月26日建立です。
5、墓誌と建立の主意が書かれています。相模の毛利から越後に来た背景、越後毛利のこと、安芸吉田に行ったことなどが書かれています。
6、館の裏には八石山から山塊の尾根が迫っています。
筆者の想像ですが、ここは交通の要衝で、通る物産は直ぐそこの軽井川の鉄製品、製鉄に使う燃料として木材や木炭、鯖石川の上流、魚沼や頸城の布製品、等では無かったかと思います。
八石山の向こう側は越後小国、源氏の小国氏が居ました。平氏追討の令旨を全国に発した以仁(もちひと)様が来たという伝説も有ります。平家打倒を呼びかけた以仁様の仲間小国氏と鎌倉幕府を作った源頼朝の側近中の側近別当の大江広元の領地が八石山を挟んで隣り合っていたのです。
日本の歴史に大いに関与した戦国毛利氏・幕末長州藩はこの地から始まったのです。
そのことがしっかりと書かれた「毛利氏供養塔」の建立は素晴らしいものです。
地域の誇りとして様々に生かしていただきたいところです。