最初にひと言
「小千谷は小さな谷とその周囲に凝縮された大人のディズニーシーだ!^^」
ずばり信濃川堤防に設置してある石碑に書いてありました「小千谷港跡記念碑」と
そうです、小千谷は港だったのです。
長岡とか三条は信濃川右岸、小千谷港は左岸です。小千谷の右岸には長岡から続く大街道の三国街道が通っています。
そこへの渡し船と上流の六日町や十日町、下流の長岡・新潟との船道の河戸の場所としてこの小千谷が最適でした。
陸路の魚沼街道(高田街道・銀山街道)は山谷から薬師峠を越え塚野山へ、
そしてそこから広田峠を越えて北条・柏崎、そしてその先、高田や京・大阪へ繋がっていました。(広田峠走破で作った地図ですがとりあえず参考に・・・)
今回、一気に塚野山まで歩こうかなと出かけましたが
小千谷、さすがです。
見るところが多すぎて時間が潰れましたしアップダウンで疲れました(楽しかったのです^^)
この界隈、小千谷市はもっと宣伝に力を入れてよい気がしますがどうなんでしょ。
ドキドキ物・宝物ばかり目に入ります。
そのへんをレポート
歩いたコースは以下
1、本町交差点から河戸跡へ、割烹東忠
小千谷市本町交差点から十日町方面(旧国道117号線)へ向かい直ぐに左折、河戸跡へ向かいます。
證光院(真言宗智山派)とのこと、この寺院の右に行くと急な下り坂になります。
これが坂です。左手の奥に趣のある建物が見えます、何でしょ。
おおお、素晴らしい、木造三階建!。
割烹東忠とのことです。
ホームページを見ますと、現当主は10代目、お店は鈴木牧之の北越雪譜にも出てくるそうです。
やはり、塩沢の越後上布は小千谷で降ろされ、魚沼街道を山谷→塚野山→北条→柏崎→京・大阪 と運ばれたとみてよさそうです。北越雪譜に出てくる渋海川の話。
また、河井継之助は慈眼寺会談の後、ここで昼食をとったそうです。
北越雪譜と河井継之助については東忠のこのページに詳しいです。
(上記写真、クリックでグーグルストリートビューへリンクです)
2、陣屋跡地へ
東忠の目の前を流れる湯殿川沿いに信濃川方面へ進みます。
左手に見えてきたのが石碑、ここに小千谷陣屋が有ったそうです。
現在は介護老人施設水仙の家になっています。
陣屋のめっちゃ詳しい情報は「小千谷陣屋 古城跡狂が行く! 」をどぞ
陣屋が無くなった後も、様々な公の機関が入りほぼ魚沼全体を見ていたようです。
ここが小千谷の中心地だったのです。
3、金毘羅様
陣屋から直ぐに信濃川です。今は水門と湯殿川の排水用のポンプが設置されています。
港の形跡は有りません。
水門やポンプの関連建物だと思うのですが陣屋風です。
堤防から上流、遠く越後三山と右手前の山本山が良く見えます。
この景色は素晴らしい!売り物ですね!
堤防を上流に数十メートル歩くと大きな金毘羅様の石碑
ご存知、金毘羅様は船の安全の神様です。
近くでは長岡市越路の岩野集落の神社にも金毘羅様が有りました。
4、小千谷港
今度は湯殿川河口から下流へ数十メートル。
ここにも大きな石、でなんと大きく「小千谷港跡記念碑」
とあります。
裏にはその歴史が書いてあります。上杉の時代からこの地の重要性が書かれています。
どうぞ現地で一読を。
どんな港だったのか、写真や図面はネット上には無いようです。
小千谷市って名前の通り小さな谷にできた町だったのがよく解りました。
左岸の岸は高い河岸段丘状なのでこの地形が船からの陸揚げに最適だったのでしょうか。
ここから山谷・塚野山・北条・柏崎へ、陸運に優しい街道と繋がって大いに発展したのではないでしょうか。
さらに驚きの小千谷港界隈へ続く