先回の続きですが
何よりも感激したのは「小千谷発祥の地の魅力」
高い河岸段丘の地にポッカリ空いた谷、小千谷。
気絶しそうなくらいの魅力でした。
で、前回は「小千谷港跡」の石碑まででしたよね~~~。
今回は「谷」を縦横断します。
凄いっすよ。
1、まずはいきなり急斜面の階段で丘の上へ
まずは小千谷港の脇の道祖神いっぱいの坂を山本山方向に登ります。
ここ、23夜塔ほかなんでも揃ってました。オールスター。
2、登りきると、なんて素敵な眺め!
小千谷港はもとより戊申激戦地朝日山や榎峠も見えます。
戊申時、西軍はここに居たですよね。
戦略的にも小千谷港付近はかけがえのない場所です。
3、で、ですね。そこになんと西脇順三郎の石碑。
ここは西脇さんの作品に出てくる大事な崖の上なんだそうです。
西脇順三郎さんて実は凄い人なのです。ノーベル賞とっていてもおかしくなかった人らしいです。
日本の詩人、英文学者(文学博士)。戦前のモダニズム・ダダイスム・シュルレアリスム運動の中心人物。水墨画をよくし、東山と号した。小千谷市名誉市民。生前、ノーベル文学賞の候補に挙がっていたものの、翻訳の壁が大きな障害となり、受賞を逸している。
ね。きっと、世界の詩の革新を試みたのでしょうか、新しい息吹を発したのでしょうか、少し状況が変われば、ここはノーベル賞の丘です^^
4、展望の東屋
その西脇順三郎さんの石碑のほんのすぐ先にこんな素敵な施設。
高台に建つ東屋というかなんと言ったらよいのか、立派な建物。
5、その後、少し下ると山王神社
その境内からの小千谷の発祥の谷の眺め。
ビルのあるところは崖・河岸段丘の上。
小千谷の発祥の谷が眼下に良く見えます。
6、起伏・立体の街
小千谷の谷への下り坂
下って見上げると「立体な小千谷の風景」
7、少し進むと真言宗智山派五智院
境内に神社を2つ抱えていました。
広い寺院です。この寺院の僧侶が上杉景勝会津転封時に謀反を起こす等古い歴史があります。
8、二荒神社
越後三山も朝日山・榎峠、長岡方面も良く見渡せます。
境内の崖の上にある道標
このように書いてあります。
で、地図にしてみました。
右 善光寺街道 十日町・・・・いくつか道順はあったと思いますがこのルートかと
向 柏崎 塚野山 片貝・・・・塚野山の重要性がわかります
左 江戸街道 長岡 三條・・・・これは渡し船で対岸に渡っての話かと
※コメント欄で誤りをご指摘いただきました。参考にしてください。時間が出来ましたら地図も修正します。
9、いよいよ街道を進みます
「柏崎 塚野山 片貝」 方面へ進み振り返る、先の森が二荒神社
真福寺(真言宗)
ここで左折、そこから山谷、そして薬師峠まで真直ぐ一本道だったようです。
さて、ここまで起伏に富んで神社寺院とも様々、街道も街並みも入り組み面白い街になっています。
ほんの百数十年前、この谷に様々なお店、歓楽街があり日夜賑わっていたのかと思うと不思議です。
10、土木技術と真言宗
この谷界隈に寺院が3つありますが全て真言宗のお寺様。
少し離れた場所にある河井継之助談判の慈眼寺も真言宗。
ご存知のように空海・弘法大使のお寺様。
香川県での溜池工事のようにとにかく真言宗は土木技術に長けた宗派の感も有り。
山や谷を歩き調査し土木工事をして、この小千谷港や山谷・塚野山・北条の街道も作ったのかもしれません。
この地の寺院の起源は古く平安・鎌倉時代まで遡るようです。
当時の柏崎軽井川の製鉄所、鯖石川流域のカラムシを考えると国策で真言宗の技術者を送り込み作った小千谷港と魚沼街道だったのかもしれません。
そう考えるとすっごいロマンです。
とにかく、小千谷港の谷筋には様々な人の声が聞こえてきそうな不思議な街並みが続きます。
8の地図、小千谷を分岐する街道について。
市史は曖昧な記述で不明かと思いますのでこちらに記載します。
魚沼街道は本町通りから平成一の交差点で右へ向かいます。途中一方通行を入り茶郷川を渡るのがかつての道筋です。
真福寺前は江戸街道(長岡道)で右へ進むのが街道筋です。左の城内を通る道は村中の道で街道とは関係ありません。
善光寺街道は五智院脇から日吉に登り信濃川沿いを進む街道です。(諸説あり)
街道の起点は道標のある神社でなく本町通りのどこかです(不明)。
ありがとうございます。
時間が出来たら修正させていただきます。