なんて重要な点を見落としていたのでしょ。
武の神社、八幡神社が長谷川邸の直ぐ近くにあったのでした。
武の達人の剣心の物語を呼び、作者和月さんまで呼んだのでした。
ついでに言うなら、和月さんの育った浦集落の神社も八幡様でした。
越路地域で八幡様はこの2カ所だけだと思います。
背筋がざわざわしますよね、っね。
以下、長谷川邸再建300年祭に和月さんが来られた時の模様。
この時に塚山中学校跡地のグラウンドで不思議な風景を見ました。
塚山集落内の5つの地区ごとに有る山車は神輿のように上半分が手で持てるようになっていて
なんとそれで突撃とか戦いの動きをやっているのです。爆竹も鳴らしていたような・・。
その時は、なんて大袈裟に騒いでいるんだ位にしか感じていませんでした。
↑ 担ぎ屋台が突撃してます!^^爆竹のような煙も見えます。
↑ 人間野馬追の雰囲気^^
このあとになって気づいたのが、直ぐ近く(徒歩3分?)の塚山神社は八幡神社だということ。
ご存知武家政治が始まった地鎌倉の中心は鶴岡八幡。
八幡太郎義家にあやかって幕府の象徴として八幡様を中心に置いたのです。
武家政治よりも神社は遥かに古く、八幡様はもともとは武の神ではありません。
素人考えでゆくと神社は色々祀ることのできる便利なもので、源義家を一緒に祀った八幡様が武の神社なんだろうな。
という事です。
戦国時代様々な神社に武将たちは寄って戦勝祈願をし文を納めています。
源氏の神社と思いがちですが平氏も八幡神を崇めているそうです。
塚山八幡神社の境内にも平氏の上杉景勝の立ち寄りの石碑が有ります。
魚沼街道はやはり上杉軍の関東遠征などの重要な街道だったのです。
以下は塚山八幡神社
下記写真、左奥の石碑に上杉景勝の事が書かれています。
右側の小屋は芝居小屋、三島郡南部は「物語を創作し演じる」ということが普通に行われている地域なのです。
この地域縁者として井上円了、三波春夫、半藤一利、和月 伸宏の各氏が生れています。
以上、長谷川邸とるろうに剣心の件で、大事な八幡神社を忘れていたことについてでした。