避難所の取材のし方で新聞社に愕然、事実よりも社の方針優先

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被災者の現実は新聞社の机上の想像とは全く違う というお話です。

 

東日本大震災の際に原発事故が起きて国の存亡にかかわるような大変なことになった。

周辺の住民は避難することになり遥か遠くの新潟県に南相馬市の方々がやって来て体育館が避難所になりました。

その後、原発の状況はますます悪化し、長期の避難となった。

数百人が体育館で一緒に暮らす状況でストレスは大きなものになっていたでしょう。

 

故郷の情報が少ないことも不安やストレスになっているのではと(直接被災者から聞いた)高齢者でも使えるタブレットPCを貸しだしたり紙にプリントしたりして情報を提供していました。

あるとき、被災地福島県のラジオ放送をネット配信することができるようになったという記事を発見し早速PCにソフトをインストールし音量を大きくできる」「スピーカーを買ってきて休息所に設置しました。

写真はラジオ、実際はPCでネット上からダウンロードしながらのラジオ放送をした。

 

こうして福島のラジオ放送が避難所の休息コーナーで流れることになりました。

 

一応休息コーナーで福島のラジオが聞けることを館内放送してもらい、さらにポスターなども張った。

様子を見ているとポツリポツリと来て何かのついでに聴いて、いや聴いているかどうかはわからない、耳に入っている程度か。

ラジオの特長は何かをしながら聴く事だと思う。

車を運転しながらとか、何か作業をしながら、家事をしながらとか。

聞き入るというような事はやはり無いよな。

と感じていたところでした。

 

ある日某新聞社からメールが来て「ラジオを避難所で流しているそうだが取材させてほしい。」とのこと。

ツイッターか何かで見つけたのでしょうか(ツイッターで支援状況を流していたので)

私が許可など出せる立場でも無いし、避難所の支援している人達を見ていると

「普通に取材できると思いますよ」と返答。

 

早速取材に来られたが

「皆さんラジオに聞き入っているものと思っていましたが違うんですね」

ということでイメージと違ったらしい。

数日後メールが来て

そちらの避難所のラジオの聴き方は特集の方針と異なるので掲載しないとの事。

 

やはり大勢の避難者がラジオを中心に集まって聞き耳を立てているものを望んでいたのだそうだ。

しかし、ここの避難所ではラジオにはそういうものを望んではいなかった。

 

かくして、この避難所の現状は報道されず(避難所でのラジオの役割は実際はどうなのか、改善についてとか)、新聞社の描いたシナリオに沿ったものが記事として採用され報道されたのです。

多くの新聞記事はこういうもののようです。

どうやら起きている事実よりも新聞社が訴えたい事が優先なのです。

プロの記者の分析や優れた記事が読みたくとももはや読むことは出来ないようなのです。

もはや、Web上からジャーナリストやコラムニストの記事を探し出して読むしかなさそうです。

 

災害と地域コミュニティの再生関連

 

 

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