ヘイトとか呪いとか、他人への悪口、被害者の立場獲得、自分に返ってくる危険なもの

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すっかり普通の左翼の人になった(以前は立ち位置が違った)感の内田樹さん、でもその書籍はやはり変わらず素晴らしいのです。

呪いの時代 は優れた書籍で、現代人が抱える問題点を鋭く突いています。

(最近の内田さんの言説が「呪い」に抵触しないかはらはら、既に抵触しているきらいも有りますが)

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他人の罵倒、悪口等は呪いの要素を持っている。

そして、呪いの言葉の怖い所は呪いの言葉を発した自分へ丸ごと返ってくることであるらしい。

ネットに溢れる呪いを伴う言葉

とにかくヘイトスピーチやネット上の右翼・左翼からの主張が「呪い」に満ちている。

内田樹の「呪いの時代」はこの時代に警鐘を鳴らすものとして極めて優れた書籍だと思う。

人を呪わば穴二つ。という警鐘も古くからあります。

 

※ヘイトスピーチとは

・・・人種、宗教、性的指向、性別、思想、職業、障害などの要素に起因する憎悪(ヘイト)を表す表現行為とされる。

 

どういうことなのか、書籍を読むと詳しく書いてありますが、内田樹のブログから書き写し、そのからくりを明らかにしたいと思います。

内田樹さんのブログはコピーOK,自由に使ってよいと本人が許可しているサイトです。

さて、いくつか拾ってゆきます。

「辺境ラジオ」で話したこと】から (2011年12月25日 )

ネットに繁殖している言葉の多くは匿名であり、情報源を明らかにしないまま、断定的な口調を採用している。 ネットは実に多くの利便性をもたらしたが、それは「匿名で個人を攻撃をするチャンス」を解除した。 今ネット上に氾濫している言葉のマジョリティは見知らぬ他人の心身の耗弱をめざすために発信される「呪い」の言葉である。 呪いの言葉がこれほど空中を大量に行きかったことは歴史上ないと私は思う。

呪いの言葉がこれほど溢れる現代は歴史上初めてではないか。とのこと。

そして、

誤解して欲しくないが「間違う」というのは、その時点での整合性の欠如や論理の破綻やデータの間違いのことではない(そういう場合も多々あるが)。 そうではなくて、「間違った言葉」というのは結果的にその言葉を発した人間を不幸な生き方へ導く言葉のことである。

その言葉を発した人間の危機を説いています。

発している当人たちを後戻りのできない「不幸な生き方」へと誘う言葉がネットの上に大量に垂れ流されている。 「呪いの言葉」は「自分に対する呪い」として時間差をおいて必ず戻ってくるという人類の経験知は誰もアナウンスしない。

自分の被害を口にした途端、自分がその被害に束縛されてしまう。

このページが呪いの怖さを説いていると思います。

被害者の呪い

「私はどのような手だてによっても癒されることのない深い傷を負っている」という宣言は、たしかにまわりの人々を絶句させるし、「加害者」に対するさまざまな「権利回復要求」を正当化するだろう。 けれども、その相対的「優位性」は「私は永遠に苦しむであろう」という自己呪縛の代償として獲得されたものなのである。 「自分自身にかけた呪い」の強さを人々はあまりに軽んじている。

 自分がどのように苦しんでいるのか、どんなに気分を害したのか、どんな被害を受けたのか。

それらを恨みをつけて口にするとそれらに自分が取り込まれてしまいがち、だという事です。

優位に立とうと大袈裟に言った、有りもしないことを付随させた、など、それらは実態となって自分に迫ってきます。

つまり、自分はかわいそうな被害者に本当になってしまうのです。

 最後に特集記事を載せておきます。

内田樹「呪いの時代に」  ネットで他人を誹謗中傷する人、憎悪と嫉妬を撒き散らす人・・・・・・異常なまでに攻撃的な人が増えていませんか (現代ビジネス)

 

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