信越線と信濃川の淡い恋。別れて再び出会い人生を全うする数奇な恋でした。

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彼は南佐久郡川上村生まれだ。
甲斐と信濃と武蔵の国境、甲武信ヶ岳の湧水を産湯に使ったという。

彼女は上州は高崎生まれ。
東山道で初めての鉄道を信濃に延ばす。
彼女は難所中の難所と言われた碓氷峠を登り、避暑地軽井沢にたどり着く。
めっちゃ涼し~~~
ふふふ、後は緩やかに下るだけ、楽勝だわ。

そのころ彼は富士山と日本一を争い敗れた八ヶ岳を廻り込み、日本で一番高い場所にある町を流れていた

佐久市を超え小諸から上田くらいまで、彼は不思議なものに出会った。丘の上を凄い速さで動く長いもの。

それが高崎生まれの信越線だった。

信越線も驚いた、早く動くのは自分だけだったのに、傍らにいつのまにか流れが有った。
名前を聞くと千曲川と言った

それが信越線と千曲川の出会いだった。
二人は一緒に走った。

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地図は全て地理院地図・電子国土Webからです。

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二人は篠ノ井付近の鉄橋信越線は千曲川の左岸に位置を変えた。

そして信越線は犀川という大きな川も越えた。

犀川はこの後直ぐに千曲川の大きな仲間として合流する川。

千曲川と犀川の合流手前は川中島である。

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千曲川と信越線は長野という大きな町を走った。

やがて千曲川は小布施、信越線は隣の豊野で行く先を変えた。

 

 千曲川は飯山・野沢方面へ 「僕は必要とされる所に流れるのさ

信越線は日本海へ「私、海が見たいの、信濃と日本海を繋げたいわ

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千曲川は飯山・野沢を流れ栄村に着いた。

そして越後の津南に入る時に言われた。

君は世の流れを知っている、今から君は信濃川だ。

千曲川は信濃川になった。

 

もともと千曲川の千曲は、筑摩(つくま・ちくま)の事かと。

信濃の国は筑摩の国だった。筑摩と呼ばれていた。

千曲川も信濃川も意味は全く同じ。

あの地域「ちくま、もしくはしなの」から流れてくる川なのだ。

古文書を見ると越後においても信濃川はちくま川であった。

越後平野は海のような川のような湖のような巨大な湿地帯だった。

筑摩地域から流れてくる川が有った。

それが千曲川。

 

そのうちに越後の湿地帯というか湾は巨大な陸地になり

とてつもなく大きな平野が出来、そして川が生れた。

洪水が多い、渋海川刈谷田川五十嵐川の水も洪水を起こしたが

何より信濃からの水が一番怖い。

この新しくできた巨大な平野を流れる川の名前はその広大な上流の怖さを伝えるものにしなくてはならない。

筑摩か千曲、か?いや、あそこは今は信濃の国だ

信濃川でなくては人々は解らない。

かくして広大な越後を流れる川は信濃川となり、いくら越後が晴れていても信濃の国に洪水が有れば氾濫する怖い川であることが周知された。

 

一方信越線は高田を通り直江津で憧れの日本海に出た。

山国信濃の国は海を我が物にした。

同時に信越線の始まりの地、高崎・群馬は高崎線からの太平洋のほかに、日本海を得た。

日本列島を横断する初めての鉄道である。

彼女、信越線は一つの事をなし終えた。

 

しかし、まだ仕事が残っていた。

越後平野の船道を鉄道輸送に替える。

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 彼女信越線は日本海を北上し、柏崎に出て長岡を目指す。

そして、長岡の手前、越路で千曲川に再開した。

越路の信濃川鉄橋(写真集)

信越線「千曲川さん、お久しぶり!何て立派な川になられて」

信濃川「信越線さん、実は僕は今信濃川と名乗っているんだ」

 

信越線と信濃川が鉄橋で結ばれるのはこの地、越路のみ。

このあと二人は寄り添いながら広大な越後平野を進み

日本海最大の港、新潟でゴールインする。

日本一の信濃川をまたぐ鉄橋は実は2つだけでした。(篠ノ井と越路)

大きな支流として犀川と渋海側の鉄橋も計2個。(川中島と塚山)

洪水の多い日本、川を超える鉄橋はなるべく作らないようにルート設定していたような気がします。

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なんとも素敵なお二人でした。

 

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