個人的にネット使いなので古上高地湖の決壊という情報に接することができました。
旧来の研究の世界では火焔型土器・考古学?と地質研究では接点が少ないのでしょうか。
繋がると面白い(素人の立場ですし)のですが・・・
とりあえず、過去に火焰土器は水の模様だと、洪水だと言っている説を集めてみます。
長岡造形大学理事長(当時) 豊口協氏のコメント
地元長岡市の造型大学の理事長の見立てがやはり信濃川の洪水のようです。 但しこのコメント時点では古上高地湖の存在と決壊は確認されていません。
暴れ川どころか大洪水であったことと、あの造型の関連のコメントも聞いてみたいものです。
縄文中期深沢式土器の再検討
縄文中期深沢式土器の再検討:火炎形土器の萌芽・飯山市大字蓮の深沢遺跡発掘資料を基準に 松澤芳宏
信濃川の洪水時に現れる波頭、もしくは日本海の波頭が縄文人の脳裏にきざまれ、東日本の隆起文土器とタイアップして、葛飾北斎の波のような表現になったとも考えられる。このように波頭文と考える立場の研究者は多く、
火焔型土器は何故短命に終わったのか?
信濃川は、食糧資源ソースとしての母なる川であったと同時に、度重なる水害により縄文人を苦しめた猛威・呪いをも意味していたと思われる。
信濃川神話は、「火焔」ではなく「渦巻き」を物語っているように見える。
縄文人の謎・ロマン “火焔型土器”の物語とは!そのⅡ
縄文人の謎・ロマン “火焔型土器”の物語とは!そのⅡ: 近畿地方の古墳巡り!
それとも、信濃川にまつわる度重なる水害が、ムラそのものを衰退させたのかも知れない。縄文中期以降の遺跡が激減していることからも、このことを裏付けているとも云える。
「水害に強い信濃川下流域づくり推進協議会」
「水害に強い信濃川下流域づくり推進協議会」第2回幹事会 議事録(H25 年 8 月 6 日)
「信濃川火焔街道博学連携プロジェクト」というものがございますが、今朝になってこ
れをスライドに入れればおもしろいのではないか、と思って入れたので、・・・
信濃川の水害を考えるに当たって東日本大震災の津波が河川をさかのぼる破壊力と同時に火焰形型土器を「カン」としてここに持ってくるあたりが直感を感じます。
以上、信州大学が2008年に発見した「古上高地湖の大決壊」による大洪水をお伝えすれば事は一気に進展しそうな気もします。
ここで思うのは、ネットを検索しても古上高地湖に関する記述が長野県にしか無く、洪水が押し寄せたであろう新潟県の人達にこの大発見に何の反応も見れないことです。研究者のネット人口が少ないのか、5000年前の洪水など大きな影響は無いと思われているのか。
歴史研究には素人の私ですが、ネット検索技術とそのキュレーションに関してはかなり自信があります。
である私でも8年後にやっと古上高地湖とその決壊を知ったわけで、こう言っちゃなんですが信州大学が「大洪水」をプレス発表したときにマスコミ・ジャーナリストは何も感じなかったのかな?と思うと残念です。あるいはしてたけど、読者は何も感じなかったのかな?(だとするよと私もそうです。)
長岡馬高遺跡レプリカ、売っていました!ビックリ。人類の遺産ですよね、火焔型土器は。