お寺様の境内で流しソーメンをするという。
寺カフェであり、檀家でも無く、町内でも無い人も気軽に参加できるお茶飲みとでもいいましょうか。
開催場所は、小千谷市片貝の浄照寺(じょうしょうじ)・・・サッカー日本代表だった城彰二さんと同じ音です。
浄土真宗大谷派(東本願寺)の寺院、新潟県では三条別院・三条教区に属します。
そこでソーメン流しを楽しんできました。
1、中越・新潟県に影響を与えた「浄照寺・耕読堂」
この宗派は門徒宗とか一向宗とかとも呼ばれてきました。
で、このお寺様浄照寺ですが知っている人は少ないと思いますが小千谷・長岡周辺の教育に関して大きな働きをしてきた寺院です。
その昔、鎌倉・室町・江戸と武士政権のとき、武士の中心地は関東です。新潟県・越後の中心地は高田・直江津のある上越地方。
関東の鎌倉や江戸に向うには柏崎から小千谷へ抜ける道でないと馬や荷車は通れなかったようです。
頸城から直接魚沼に入る道は急坂すぎて物資や兵力輸送にはあまり向いていなかったようです。
ということで、柏崎・刈羽の北条から塚野山を通って片貝・小千谷へは越後から関東への大事な街道。
そこに教育の動脈もできました。
北条は鎌倉時に公家出身の別当大江広元の領地。毛利家の先祖です。
北条に来る前は南条の地が本拠地。その南条に開かれた宿が「三余堂」
教育において大きな影響を与えました。
その流れが片貝浄照寺境内に出来た朝陽館(ちょうようかん)
朝陽館は耕読堂(こうどくどう)と塾名を改めます。
このの塾は小千谷・越路・長岡に大きな影響を与えました。
野口英世と井上円了
浄照寺は先に書いた通り、浄土真宗(大谷派・東本願寺) です。
三条市に別院が有り中越以北の宗派の寺院の中心になっています。
1890年代に三条別院に教師としてきたのが血脇守之助。
その血脇守之助が教育にたずさわり野口英世を世に送り出します。
※:血脇守之助が真宗大谷派三条別院に行ったから後に野口英世と出会うことに
また、東洋大学の始祖で長岡高校の和同会を作った井上円了は片貝のすぐ近くの浦の慈光寺の生まれです。
他の宗派も同様に教育に携わったのでしょうが、この真宗東本願寺系の教育の歴史、とくに中越(三条市も区分は中越です)での歴史は興味深いものです。
柏崎の南条から始まる教育に関しては、今度もう少し掘り下げてみたいです。
2、寺カフェ、流しソーメン
時は流れ、その境内で子供体がソーメン流しを楽しみました。
寺カフェという事で、なかなか触れることの無いお寺様に子供達が・大人たちが親しみました。
今朝は大雨でしたので本堂玄関に「全天候型」として設営されていました。
集まった子供たちは夢中でソーメンを竹樋からゲット
テレビゲーム以外眼中にない子供達も夢中でした。
お腹がギリギリまで膨らんだ時点で(それまではソーメンが流れる樋から離れない)
子供達にお寺様の見学をさせました。
今は全く分からないけれど
そのうちに今日来た子供達にもわかる日が来る。そんな寺カフェでした。
目的達成ですよね^^