飴屋踊りというものが新潟県長岡市にある。
新潟市で公演したり東京にも行って披露したりしていたのは旧三島郡越路町の浦地区や神谷地区・岩野地区の飴屋踊りのようです。
こんな踊りです。
- 男性が派手な襦袢を着て
- 頭にタライのようなものを乗せ、そこに日の丸を建て飴を入れて落さないように踊ります。
- 終わったらその飴を撒く。
詳しくは上記写真のある解説ページをどうぞ。下のリンクです。
このページの記述
この踊りは明治の昔に村の若い衆が出稼ぎに行っていた場所(北魚沼)の踊りにヒントをえて作ったものだそうです。
上記に古い動画も有りましたのでアップ(2003年、中越地震の前年の貴重な動画です。)
隣り地区の今度は屋台で回っての踊りの動画はこれです。
この越路地域は古くから芸能が活発で、芝居小屋が今でも機能 上記浦地区の隣りの来迎寺地区の若手が独自に芝居小屋でのステージ化をしています。下記の写真をどうぞ、曲や歌は録音を利用が多い中、果敢に生演奏・生歌に挑んでいました。さすが三波春夫を生んだ旧越路町です。
くどいですが、こういう地域からるろうに剣心の和月伸宏が出て、長岡高校の和同会を作りさらに東洋大学の創設した井上円了、明治の近代化に尽くした高橋九郎、更には今の日本文壇の重鎮半藤一利さん(父の故郷疎開)が出ているのです。
この文化が教育から来ていればその中心はこれまたすぐ隣の片貝になります。
越路地域とは別に郷土芸能保存として、中学生などに伝えているのがやはり旧三島郡の大積地区です。
★新潟文化物語 祭りとともに育まれている伝統芸能。(ページ中段:江戸時代から伝承される踊り。 ~大積あめやおどり(長岡市)~)
起源の引用:全国に飴を売りながら行商に出掛け、旅先で歌と踊りを舞いながら子どもたちを集めたものが起源となっているようです。
ここに書いてあるように、いろいろ調べると関東に同様なものが有るのです。
飴屋踊りのおそらくルーツ関東
まずはこれです。
あれれ、同じじゃないかよ!!
でも、常総市はさすが、ちゃんと女性が踊っているようですね。
起源情報引用: 飴屋踊りは、飴売りが各地で飴を売り歩くときに踊り歌ったもので、「ヨカヨカ飴屋」、チャンチキ飴屋などがあり、全国的に知られていた。
なんとチャンチキ飴屋!!三波春夫のチャンチキおけさってそういう流れなのね。
もうひとつ
神奈川県三浦市南下浦町菊名だそうです。
上記ページでは頭にタライは無いですが雰囲気はありますね。
起源情報: 江戸時代末期、関東の村々を巡り行商した飴売りが街頭で客寄せのために歌舞を演じたのが始まりとされ、歌舞伎末期の演芸が農漁村に流入し形成されたといわれていますが、詳しいことは分かっていません。
平成元年から演者(当時は男性のみ)の高齢化と減少のために上演が中断されました。その後平成20年に、地元の女性たちの熱意により見事復活し、
やはり、男性が踊っていたんですね、きっと派手な衣装だったのでしょう。
他にもいくつか関東に飴屋踊り情報がありましたがやはり保存活動になっているようですね。その分昔の芸がきちんと継続されているように見えます。大事です。
そう思いますと、新潟県長岡市越路地域の飴屋踊りは日本唯一の現役なのかもしれません。
今も、若い衆が勝手にこの芸能文化を前に進めている訳で。
保存は大事です、越路はシーラカンスとして今日でも生きて変化している飴屋踊りを伝える役割ですね、きっと。
国や地元行政から支援をいっぱい貰わなくても今はうまくいっている、この越路の風土を失わないようにしてもらいたいものです。(衰退になったら国や行政の応援必です^^)、でもこの不思議な土壌、何なんでしょ。
ま、しばらく大丈夫な「長岡市越路地域の現役飴屋踊りでした。」
飴屋さん迫力ありますよね!友達も来迎寺で踊ってました。浦上芸能研究会の皆さんに頼み込んで門外不出の飴屋さんを習わせてもらって練習を積んで舞台で披露したみたいです。浦上の飴屋さん見たことありますが、小さいわっかで通しをのっけるとこやっぱ半端ないです。
浦上はまたひとつ凝っているのですね。
門外不出を習われた事、文化はこういう積極者の手法で続くのだと思います。
ご苦労様です。