「ゲンロン0 観光客の哲学」は、4月の刊行から7月上旬までで2万7千部という哲学書としては異例のベストセラーになっているそうです。
分厚くて、難しくて、知らない事が多いが、世界も日本も社会のいよいよの曲がり角を感じる昨今、興味深い世界なので書評から読み解かせていただこうという「ずる」です。
で、書評は書籍からポイントを見つけだし、わかり易く書き表す作業でしょうが、その書評文章中から偏った選び方、今回は「観光客」の件で絞る訳です。
だいぶ違うものになっちゃっているかもしれませんが、書籍とはそういう読まれ方「著者の意図と違う読み方がされる」が主だと思いますので、ご容赦です^^。
★『ゲンロン0 観光客の哲学』 東浩紀著 : 評・三浦瑠麗 YOMIURI ONLINE
政治思想の世界では、個人は自由で世界は進歩すると考えるリベラルと、異なる性格の共同体がばらばらに世界に併存する方がいいと思うコミュニタリアンが、…
…共通点があると喝破…
人間はこうあるべきという「べき論」を展開するエリート的世界観
しかし、現代世界において、リアルな主人公は「大衆」
この本は、理想化されていない「人間」を政治思想の世界に取り戻す。
なるほど、私みたいな一般的な欲望を持つ「人間」をちゃんと取り込もう。なんですね。
是非お読みください。
日本の野党は共産主義や社会主義をベースにしてきましたし、現代日本は社会主義国家ではないかと思うような建前ばかりになって窮屈なものになっていると感じます。
なるほどそういう事なのですね。
★橋爪大三郎・評 『ゲンロン0 観光客の哲学』=東浩紀・著 毎日新聞
「観光客」とは何なのか。
リベラリズムが退潮した。… …代わりにコミュニタリアニズム(アメリカ・ファースト的ナショナリズム)とリバタリアニズム(グローバリズムでオッケー)がのさばっている。
こうした流れに抗議… …抗議だけなら、帝国の裏返しだ。それを「郵便的」なマルチチュード、つまり「観光客」に昇格させよう。著者の提案である。
なぜ息苦しいのか。《自由だが孤独な誇りなき個人(動物)として生きるか、仲間はいて誇りもあるが結局は国家に仕える国民(人間)として生きるか、そのどちらかしか》ないから。…
そんな絶望を超える可能性が「郵便」である。「郵便的」とは、《誤配すなわち配達の失敗や予期しないコミュニケーションの可能性を多く含む状態》…
観光客もまた予期しないコミュニケーションに開かれているとし
《帝国の体制と国民国家の体制のあいだを往復し、私的な生の実感を私的なまま公的な政治につなげる存在》
としています。
なるほどそういう事なのかとわかった気がします。
是非お読みください。
日本は本来「誤配・予期しないコミュニケーション」の少ない社会ですが、最近は楽しめる国民になってきつつあるようにも思います。
★東浩紀『ゲンロン0 観光客の哲学』 西東京日記 IN はてな
ここで著者が提示するのが「郵便的マルチチュード」=「観光客」という概念です。
ここでの「郵便的」とは、もちろん『存在論的、郵便的』で提示されていたもので、ある種のまちがい=「誤配」が生み出すような関係性です。…
また、著者は現代の社会は「正規分布」の世界ではなく「べき乗分布」の世界であり、例えば富もウェブページの被リンク数も都市の規模なども、一部に集中しています…
著者の現代社会に対する抵抗の戦略はスケールフリーの世界に誤配を引き起こすことによって、集中したネットワークを解体可能なものであると認識させることです。
そして、その誤配を引き起こす、あるいは誤配を演じるのが「観光客」ということになります。…
おおおお、わかり易い、そういうことなのですね。
ぜひ、お読みください。
次は書評とインタビューの合体記事でしょうか。
★ゲンロン0 東浩紀さん哲学書ベストセラー 観光客がつくる新たな連帯 産経ニュース
21世紀にはナショナリズムの時代が終わりグローバリズムの時代に移行するといわれてきたがそうではなく、その2つが全然折り合いが付かないまま重なっている時代。…
…これからの人類の連帯はデモのようなやみくもな動員でなく、郵便物の誤配のような予期せぬ出会いの集積で作られるとする。…
国会議事堂の動員デモは酷かった。あれ、日本のエリート層「大学教授」たちも中心として絡んでいたわけで、…なるほどそういう事なんですね。
★東浩紀氏インタビュー(聞き手=坂上秋成) 哲学的態度=観光客の態度
ここは書評ではないので難しいですがリンクしておきます。
ということで、書評の皆さんのおかげで、この分厚い哲学の本が言いたい事がなんとなく見えてきました。(本当は良くは解っていないけど^^)
かなり違う話になりますが
頭の良い素晴らしい人達で考えて作ろうとしてきたた社会、複雑極まりない理想社会の現代。
グローバルとか移民受け入れとか、美しい理念上は正しいのでしょうが生身の体が悲鳴を上げ始めた。生物には多様性が組み込まれていたのです。「美しい理念に統一」は、難しくなった。
今言われているシンギュラリティ(人工知能が人間を超す日)なんかもAIには身体が無い訳で、果たしてそんなにうまくいくものなのか?
いろいろ読んできたものを重ね合わせると、人間の物事の進め方、選択・決断には身体が関係しているらしいこと、そして今の世界で起きている「めざす理想社会(グローバル化・移民受け入れ)」にエリート以外の一般国民が反対し始めていて、エリート層が「EU離脱やトランプ勝利」を選択する選挙結果を理解できずにいるのを見ると「生身の普通の(多数の)人間」を理解した新たなエリートが出現し、新しい社会構築が世界的に始まるのかもってな気もしてくる。
今回の東京都議会議員選挙もエリート層は理屈が通らない小池知事を批判しまくったが一般都民は理屈に合わないかも知らないがもっと別の「自分達の感覚」を選んだような感。
…なかなか、よくわかんない。
記憶主体のAIと読解力のある人間の興味深い記事も有りました。
★【NEE2017】シンギュラリティは来ない…東ロボくんの母・NIIセンター長 新井紀子教授
東ロボくんは文章の意味を理解していないため、過去に学習していない問題やパターンに突き当たると、解答できないのだ。
文章の意味を理解できること、それが最も大事な事らしいです。
書評を読んで本を購入して東浩紀さんの提案を詳しく知りましょ。
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