SNSの使い手だった 長島忠美代議士(旧山古志村村長)さようなら

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初めてお会いしたのは十数年前の古志の火まつりの会場の控室。

古志の火まつりは3月に開催される(3月は山古志にはまだ雪がたっぷり)日本1の賽の神です。

日本を代表するまちづくりNPO法人T交流センターの職員AさんTさんと一緒に伺いました。

迎えてくれたのは役場職員のIさんと民間の青年Tさん。

この二方は2017年の今日では山古志地域の公と民のリーダーです。

で、控室になっている管理棟ビルの2階に私も控えていましたら賑やかなおっさんが入ってきました。

その日は嵐になっていて大風で火まつり開催も危ぶまれる状況。

控室の一同は「村長が来たすけ嵐になってしもうたねか」とイジメに走ります。

うぶな私は呆然、その方が長島村長でした。

長島村長は雨男という評価なのでした。

 

祭りの各部署を見回り激励してこられたか、来場者にあいさつされていたか、そんな一仕事終えた感じです。

ニコニコとしながら冗談を飛ばす村長を私は見ているだけでしたね、当時は。

 

 

長島議員はツイッター使いでした。

国会議員や全国の県知事・市町村長・自治体議員でツイッターを使う人は少ないのですよね。

ネガティブなツイートも来ますから。

その点、先進で心が強い方だったと思います。(多くの有名政治家は全国に影響力のあるツイッターを使っています。)

多くの普通の政治家が安心なフェイスブックに走るのですが長島さんは後にフェイスブックも始めるもツイッターをメインに使われていました。

長島さんの心を感じるのはツイッターです。

情報の最先端を良く解っていました。

2017年現在長岡市内において山古志地域が最もICTを上手に駆使しています。

山古志の様々団体や個人がツイッターやフェイスブックやインスタグラムを利用しています。

長岡市や市内の他地域より上質な情報と多くの情報を発信しています。

もっとも人口の少ない地域が頑張っています。

インターネット自体が弱者の道具なのですからしかたないです。

逆に言うと金も権力もある人にはなかなか使いづらいインフラです。

 

今回の訃報で「長島さんを知る」情報を探してみました。

長島さんを知るリンク・動画

長島忠美 – Wikipedia

長島忠美先生:小林幸子オフィシャルブログ …旅先のベトナムから

被災地・兵庫ともつながり深く 長島忠美氏死去:神戸新聞

「中越地震の際、いち早く駆け付けてくれたのが長田の人だったから」と語った。

 

 

 

 

国民の声

訃報を聞いて全国の人がしたツイート集を見るとどのように思われていた方なのかが良くわかります。

全村避難を指揮、旧山古志村の村長 長島忠美衆院議員死去に寄せられた声

そのまとめを共有しますのでどうぞご覧ください。

 

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