ドナルドキーンは長岡市国際親善名誉市民、米百俵英訳は彼でした。

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柏崎市に深い縁が有ってドナルドキーンセンターは柏崎市に建立されました。

しかし、同じ新潟県でお隣の長岡市も実に深い関係が有りました。

国内だけでなく世界に広がった「米百俵」を英訳したのも日本文学の世界の花神、ドナルドキーンさんだったのです。

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だから、柏崎市にドナルドキーンセンターがオープンした時に長岡市の森市長も招待されています。

長岡市国際親善名誉市民のドナルド・キーンさんと懇談(森民夫のほっと一息)

本文より

・・・米百俵の精神の普及啓発に大きな貢献していただいたご功績により、平成10年、長岡市の国際親善名誉市民にご就任いただきました。・・・ ・・・写真は、吉田理事長の奥様・真理氏とご一緒に、私がしめていた米百俵ネクタイに興味津々の様子のキーン先生です。・・・

 

 新潟との深い縁 【ドナルド・キーンの東京下町日記】(東京新聞)

キーンさんが寄稿されたものです。本文より。

それに、私は二年前に日本国籍を得る前から新潟県人だった。長岡藩の「米百俵」を英訳したことで、一九九八年に同県長岡市の名誉市民になった。小泉純一郎元首相の演説で米百俵が知られるようになる三年前だ。「将来のために教育に投資する」という考え方は、万国共通に受け入れられ、英訳が基となってバングラデシュなどで舞台上演された。

 

 そしてホンジュラスに伝わった米百俵

英語になった米百俵はたやすくスペイン語にもなりました。

国旗の重み 教育編~ホンジュラスの米百俵~

 ドナルドキーンさんは世界へ広げられたのです。

で、ドナルドキーンさんの居られたニューヨークのコロンビア大学。

武士の娘杉本 鉞子(すぎもと えつこ)さんも1920年から7年間コロンビア大学で日本に関する講座を受け持たれました。もちろんあのフローレンスさんのアドバイスで。

ということで、ドナルドキーンさんの先輩教師が杉本 鉞子さんなのです。長岡との縁は深いのでした。

そしてともに日本を米国に世界に紹介してきたのです。

 最後にドナルドキーンのこのサイト内のリンクを貼っておきます。

参考にしてください。

 

最後にキーンさんは司馬遼太郎さんと親しく、同じく司馬さんと親しかった半藤一利さんが長岡市越路の縁者(父親が越路岩野出身、戦時に一利さん本人も岩野に疎開、長岡中学卒業)でその米百俵賞の審査委員長でもある。

戦後日本文学の生き字引の両巨頭、キーンさんと半藤さんの接点が少ない。

色々考え方の違いがあるのでしょうが新潟県を舞台に調べてみたい気もします。

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