魚沼街道の越後広田から塚野山までが実にすばらしい。
(過去のレポート、魚沼街道(小千谷街道・広田峠を歩く、北条から塚野山・長谷川邸前編、中編、後編)
楽々歩けるように整備されていて、昔の面影を今に伝えている貴重な峠。
これ現代への遺産です。
それぞれの地域の方々が整備されているものと思います。
この魚沼街道広田峠の麓に袴沢集落が有り、そこはいくつかの抜け道というか枝分かれした道が有った。
この袴沢は広田峠の茶屋(お万茶屋)を営んだ清七家が有り、有名な於万はそこの女性であった。
ということで、その枝分かれした道は袴沢集落内に通じており、そこから小坂・鷺の島から薬師峠にも行けたようである。
(上記の地図はスタンフォード大学の明治測量・昭和発行の地図を利用しています。現代と少し道の位置が違います。)
で、なんと一人の男が完全ボランティアで上記ピンクのルートの道の整備を行っているのがわかった。
それも何年もたった一人で。数百メートルものながさの山道なんですが・・・。
やった事のある人は解ると思うのですが自分の裁量で自由に山道を整備するって、この世の最高の遊びの一つです。
これに匹敵する遊びもあまり無いのでは?
彼は、エンジン付きの草刈り機でやったようです。下記のようなやつ。
その後に飲むビールはこれまた最高のビール。
翌週道を撮影したビデオをもらいましたのでその中の写真を数枚紹介します。
1、山の斜面に沿って登ります。
2、蜘蛛やいろいろな虫が山に居ますがそれもまた楽し。
3、大きな倒木はそのまま、完全な整備は目指しません。一人の力で無理なものはそのままだそうです。
4、本道との合流点、終点です。
おそらく草や小さい木々で歩けないくらいだったものをここまで持ってきたのだと思います。
で、彼は清七の血が入っていますので、ご先祖の通った、於万も通った道を知らずに整備していたようです。
それは最近分かったものですが血とは実に恐ろしいものでした^^
で、このおっさん、実はドラマーで30年前自宅に音楽ルームを作った狂気のオッサンでした。
その頃のビデオ記録はありませんが、現代の若者が彼の得意な曲をアップしていましたのでのっけておきます。
—以下、関連本やグッズ—
神社からつへいえの旧道に手を
つけました(^_^;)
噂に聞く権七の上に行く道ですね。
それは歴史の完結じゃないっすか。
イカ炙ってくだせえ。
今晩は、こしくわさん。
ここに来ましたね。
ロマンですねー、いかあぶりさんがお万茶屋を整備するのも何かの縁だった訳ですね。
登山道を開いた人が山小屋を作ったように、広田峠に茶屋などいかがですか?
by あの林道は何のため? 山羊乳
ごんしちからアンテナまで開通
裏山の旧道も一応開通したけど凄く荒れていてところどころ
バイパスを余儀なくされました
なるほど、四つ子空中基地も越えて一気にアンテナ跡ですね。スバラス^^。