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ソーシャルデザイン:自遊人128号はその思想書、かつてのインターネットマガジンのように未来が詰まっていた

ふ未来を変える「ソーシャルデザイン」

自遊人2019年2月号 第19巻1号 通巻128号のテーマです。

ソーシャルデザインを特集することでこの号は何か特別な号・特別な雑誌になった。

wikipediaを見ますと…

ソーシャルデザイン(英語:social design)とは、社会をどう築くのかという計画。デザインの対象はモノだけではなく社会である。その対象は社会インフラの整備から社会制度までと幅が広い。

とのこと。

そしてこの号にはwikipediaの言うそれらとその最新動向とさらにはそのベースとなる思想までが著されていた。

それに似たものがかつてあった。

インターネットの黎明期、日本に凄い雑誌。

インプレスのインターネットマガジンです。

こんな風な語句がいろいろ出てきた。…

パケット通信、TCP-IP、ブラウザ、html、モザイク、WWW,、マルチメディア、ドメイン、レンタルサーバ、FTP、ipeg、midi、URL、ブログ、CGI、ポータルサイト、リンクフリー

様々な新しい仕組みと同時に、何より、インターナットにより未来はどうなえうのか等のlコラムが非常に優れていた、

様々な哲学からネットが実現するであろう未来が語られていた。

その歴史的な働きをした雑誌のバックナンバーがあります

【インターネットマガジン バックナンバーアーカイブ】

その中の1冊を見てみます(なんと全ページPDFで読めるのです)

インターネットマガジン1996年4月号―INTERNET magazine No.15編集部 2007年12月18日 インターネットマガジン1996年4月号

–目次を簡素化して引用させてもらいます–

赤い文字の記事はノウハウと言うより、思想・考え方についての要素が強い記事

目次

  • [特集] 動く!鳴る!便利!いま旬のクールサイト101選
  • [集中企画] ホームページ作成のためのデジタルカメラ徹底検証
  • [連載] 今泉洋のWhat’s Cool
  • [連載] インターネットのある暮らし インターネットで買ってみよう! 男気あふれるブランド小物
  • [REPORT]  講演:ローレンス・J ・エリンソン
  • [現地レポート] 大阪国際女子マラソン ストリームワークスを使ったビデオ発信の現場から
  • [連載] インターネットビジネス利用の現場から 花王
  • [REPORT] 転換する業界 第1回クレジットカード後編
  • [REPORT] 「第1回インターネット防災訓練」の裏側
  • [連載] インターネット探検隊 第5回 Windows95編
  • [連載] 西森マリーのちょっとおしゃれな英文「E-mail」 第11回 米語と英語の違い
  • [連載] ネットワーク時代の知的所有権入門 第14回 著作権と出版権をめぐって
  • [連載] Macユーザーのためのネットワーク構築講座 第10回 MacintoshによるLAN間接続・後編
  • [連載] ホームページで情報発信 第3回 ホームページに絵を入れよう
  • [ニュース] ピピンアットマークがいよいよ発売ほか
  • [EDITOR’S CHOICE] IND-M288S、Internet TELETEXT、FIG leaf Inline、MapEdit
  • [連載] We Love Internet People
  • [連載] BOOK REVIEW やっぱりコンセプトが大事
  • [連載] マッシー川口のfrom New Tork インターネットでお引っ越しの巻
  • 連載] INTERNET YELLOWPAGES Volume 15: Computer
  • [連載] 入門者のためのFAQ 13
  • [連載] インターネット用語解説:11
  • [連載] CU-SeeMe大会 2月8日結果発表
  • [INFORMATION] 編集部からのお知らせのページ
  • [連載] 我が家のインターネット奮闘記 第2回 会社のみんなにWWWを見せてあげたいんだけど!
  • [CD-ROM MANUAL] インターネットナビゲーターCD 1996/4の使い方
  • その他] JPNIC公開文書の読み方のコツ
  • [連載] 後藤滋樹の新・社会楽 第15回
  • [連載] ネットワーク管理者・池田のたぁっ!なにやってんだよ 第3回
  • [連載] イベントカレンダー

実に様々な分野の記事があり「この方向だよ」という考え方の道しるべも有ります。

今日のようなネット社会など見えない時代に今日のような未来を語ってくれていました。読み手の私にもう少し大胆さがあったら上手く立ち回れた気もしますが、そこが少しあれです。

 

自遊人はどうでしょう、とくにこの号「ソーシャルデザイン」には魅力的な刺激的な記事が並んでいます。

自遊人128号 : ソーシャルデザイン

 

記事一覧を引用させてもらいます。

 

  • 無形の取り組みが「グッドデザイン大賞」を受賞。時代は“ 志の美しさ” へ。(おてらおやつクラブ 松島靖朗さん)
  • 木造アパートを改修した宿&カフェの裏側に見える建築を介したコミュニケーションデザイン。(HAGISO + h a n a r e 宮崎晃吉さん)
  • 一人でも多くの人を庄内へ。それが私たちの描く“リターンのデザイン”です。(SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE  山中大介さん)
  • サスティナビリティに基づいた雄勝の自然と共生する体験を子どもたちに。(MORIUMIUS 油井元太郎さん)
  • 永久に守りたい味「A級グルメ」が『ビレッジプライド』を育み、人口をも増やす。(にっぽんA級(永久)グルメのまち連合 寺本英仁さん) 
  • RISE&WIN Brewing Co./山名八幡宮/商店街 HOTEL 講 大津百町
  • リトルトーキョー/トーコーキッチン/B’s行善寺/Fattoria ALFIOLE
  • 日本におけるソーシャルデザインの軌跡。 公益財団法人日本デザイン振興会 矢島進二さん

最後にあげた「日本におけるソーシャルデザインの軌跡」はもう書籍1冊分あります。これの為に買うのも有りです。

 

今後の地域づくりに関し、人口減の日本の対策に関しこの1冊にヒントが満ちているように思います。

バイブルとしても、この時代の空気の保存としても、そして実用書としても大いに価値のあり1冊だと思いますよ。

 

 

 

交流人口 地域参画に泊まりがけで来てもらえる手段 ブックゲストハウス 本読み目的も

別の事を調べていたら

関西から新潟に行く方法の紹介があって、個人ブログなんですが・・・。

そこに本が読めるゲストハウスで宿泊した。交通手段は格安の飛行機で。と。

写真が載っていて、それは以前東京に出来た本が読めるホテルみたいな感じだった。

関空から新潟市にやってきて1泊しても1万円台半ばでOKとか

凄い時代になったんだ。

昔は寝台列車で行くしかなく近頃はやっぱり新幹線の乗りつぎでしょうか。

これは気軽に来れるな。

交通費が安く何よりも宿泊費が安く、それだけでなく施設が「本が読める・宿泊者同士交流も可能」魅力的である事。登山なんかで泊まる山小屋、知らない者同士、人見知り同士でも話が出来ちゃう不思議な空間だった。

読書好き同士、楽しめそう。風呂は別(シャワーのみ)だがそれはむしろ近くの日帰り温泉なんかを楽しんだ方が良い。

 

交通手段の比較とか詳しいブログ記事

★新潟-大阪の移動方法について京大卒のアイドルオタが考えてみた。

関西からNGT48を観に来る際に調べられたようです。
丁寧に書かれています。一部引用させていただきます。

Peachでは航空券が3種類あり、簡単に言うと高ければいろいろ出来るようになってます。
公式サイト
公式を見てもらうとわかりやすいです。
自分はいつも一番安いもの(シンプルピーチ)を使ってます。
予定に変更があるとダメなわけですが、多くお金払うならLCCじゃなくていいと思ってるので。

 

続いて宿泊

★新潟駅すぐのゲストハウス「Book Inn」は本棚の中で眠る快適な宿だった

mihojiさんによる(関西の女子)

実体験に基づきとても分かりやすいです。一部引用指せてもらいます。

ひとり分のスペースは、こんな感じ。
身長165cmの私が座っても天井の高さは十分あります。

共有ラウンジ的な場所で、自分でお茶を入れて飲むことができます。
コーヒー、紅茶、玄米茶が用意されていました。
… 夜は通路の読書スペースで、ゆっくり本を読みながら過ごすことができました。
他の宿泊者の方もいましたが、すごく静かでした。

宿のサイトはここ

と言う事で

これ、新潟県はもとより各地の田舎に使えますよね。

頭に浮かびます

あの辺にこういう宿があったら行きたいな…

 

例えば数時間くらいのイベント・お祭りのお手伝い・参加など。

観光客のようにお金を使うレジャーではなく地域の取組みに参加することを楽しむ。

そんな旅にはこんな宿があったら価値が倍増しますね。

その地域に関心のある人が泊まる率が高く、しかも」その地域・イベント・祭りに関係する書物、歴史書などが読める図書。

たまらないですね。

参加者激増、地域参画総量激増。

そういう時代なんだと思います。

 

 

災害時の情報改善。行政+防災情報機関+災害情報キュレーター、これだけでかなり改善されるんでは?三条市・倉敷市等の例を見る。

最近は日本中で災害が多く、2018年はとくに大規模な災害が起きた年だった。

行政による災害情報発信どこも苦労したようだ。今年に限らず以前からだが。

行政はその成り立ちから得意な分野と不得意な分野があるように見える。日常的に起きる事、そして同じく週間・月間・年間でやってくる予定・仕事、それらにはきちんと準備をして決められた手順でそれをこなす。決められたルールから逸脱することは基本的に無い。

しかし不測の事態が起きた場合、法律・組織内のルールに抵触しないものは個人で対応可能だがそうでないものは上司の許可が居る。法律違反の可能性があるものは当然できない。

災害情報・防災情報は成り行きを予想できるものが多いが、多くの災害は予想と異なる形で発生し展開してゆく。だからこそ災害へとなってゆくと言う事もできる。

例えば、「防災計画はあのA川の氾濫想定であの施設に避難することになっているが、こっちの想定外のB川が溢れそうな時にここらへんを避難者を通してよいものか?」

この場合、状況報告、上司の判断・さらに場合よってはその上の上司の許可が必要となり、さらに情報面でもその情報を流してよいのか、どういう文面であればよいのか、いつ流してよいのか等、担当者も上司もそのまた上司も緊張状態となる。日常の公務員の仕事に忠実であればあるほどそういう事になりそうです。

当然、情報も実際の行動もワンテンポ・ツーテンポ遅れ、場合によっては判断も行動も行われない。

ネット上を見ますとそういう状況に見える事が災害時には多々起きているように見えます。

 

 災害が多かった2018年、果たして避難準備や避難勧告・避難指示と避難所開設情報等の行政からの情報はうまく発信されていたのか、ネット面から見てみます。

さらにその他の組織・人の情報発信はどうであったのか、補完し合えるようなところはあるのか?見てみたいと思います。

行政の動き

特に豪雨や台風は地震と違って、災害がいつ来るのかはだいたい解っていてどのような規模になるかもおおよそわかるものと思われます。

そのおおよそ予想できる災害に対して行政の情報発信はどのようだったのか?

特に台風21号で大きな被害が出た後の24号の防災対策情報、市町村は何を発信したのか?

災害時に最も有効な情報発信ツールの一つであるツイッターの活用で見てみます。

主に新潟県を見てみます、災害経験豊富、雪で毎年災害に備え、対応している県であり、参考になるのでは?

ツイッターをまとめたトゥギャッターを見ましょう。

台風24号に対する新潟県内の市のツイッター情報。大災害頻発の中やって来た台風にどのように反応しているのか…

 

上記を見ると、ほとんどの自治体が「強風や大雨に注意」だけ。それも1回のみとか多いようです。

具体的な動き・特徴のある自治体をあげてみます。

燕市

 

燕市は避難所の開設と避難時に何をしたらよいか案内しています。

 

見附市

もし災害が〇〇になったら〇〇をします。

こういう情報をあらかじめ出してくれると判断に困っている市民は助かりますね。

 

 

南魚沼市

避難時間の目安と持ち物についての情報があります。市民はマニュアル等の確認なしに判断基準がわかり便利。

 

民間の動き

 

ケンオー・ドットコムの例

行政が今の必要最低限発信のままでもケンオー・ドットコムようなところがあるとが市の情報や市民の情報を逐次流してくれるので大いに助かります。

新潟県県央地域のケンオードットコムが市民と築いた豪雪防災ツイの奇蹟!ここまでできるツイッター

 

 

倉敷市の例

台風24号の危機、倉敷市と地元国会議員のツイートが秀逸。このような公の情報とその他様々な情報を整理発信者が必用

 

行政が情報発信、ICT発信に詳しい地元議員(橋本岳代議士)が補足・・・このパターンが現状ではもっとも理想かもです。

 

長岡市の例

1.26の通行止め解除! 長岡市付近で高速通行止め、国道状況は?長岡市~新潟市間くらいの情報

これは大雪で高速などが止まって渋滞している時にお情報まとめ。

交通機関からの情報や市民情報等で構成。市民とのキャッチボール無しでひたすら情報をまとめたものです。

 

災害情報キュレーターがまず1人居れば…

ただこれだけでも災害の状況変化がタイムラインで見れ、また市民の肉声も見え、状況が解りやすくなります。

 

三つの例で言えるのはやはり情報のキュレーター・情報ハブの必要性。それもたった一人でかまわないのです。(ケンオー・ドットコムもいわゆる中の人は一人です)

大きなシステムや組織を考えがちですが、そんなの居りません。むしろ動きが悪くなる。情報の承認なんかし合っていたら行政の情報発信と同じようになってしまうでしょう。

どうも現状では一人いればそこそこの情報整理・配信ができそうです。

というより、一人の方が良いでしょう。

もし複数居ても得意分野・関心のある分野が異なることが多く、これまた補完が出来そうです。(それぞれが自由に、束縛されずに自分の観点から扱う。今まででもこいうのが凄く参考になった。)

新潟県長岡市では民間個人のキュレーターが複数いますが、全国の他地域では一人もいないところがほとんどだと思います。

 

しかし、それができる人は潜在的にはかなりいられるものと思われます。

あとは、ケンオー・ドットコムや橋本議員や長岡市民の実例をあげ、

あれ、こういう事やってもいいの?俺もやってみるよ」という市民参加を促すだけ良いような気がします。 全国各地にそういうものが立ち上がったら…。

行政の確認された情報と緊急。今時点情報がミックスされた時最善の情報になるんじゃないでしょうか。

 

苦手分野を任せる

行政は苦手分野を任せ、得意の発災してからの事に集中でいいのでは?何年もやっているのに、10年以上やっているのに未だあんなツイートだけ、多くは何もツイートしないとか。これはもう向いていないですよね。

 

災害情報キュレーターやハブ機能をメインとした緩い組織を用意すれば、行政が苦手とする分野「どうなっているか確認がとれていないし、あがっている情報も信頼性が不明、どうやって発信できるかわからない」等と言う状況を易々と補完してくれるようになるのではないかと。

どでしょ。

 

 

 

「お万茶屋物語」魚沼街道(柏崎-小千谷)茶屋の幕末から明治の移り変わり2戊辰戦争

第1話 「お万茶屋物語」魚沼街道(柏崎-小千谷)美人の茶屋の幕末から明治の移り変わり

その後

北越雪譜の続編最後の4巻を発行した翌1842年に鈴木牧之さんは72歳で亡くなった。でも牧之さんは多くの想いを残すことに成功した。
その年から26年になる。
広田峠の茶屋は於万が営業を続けておりいつの間にかお万茶屋と呼ばれていた。於万はすっかりおかあさんに、中年となり、今では次男の清次郎12歳と共に茶屋を切り盛りしている。
子供は長女長男、そしてそして次男清次郎と3人に恵まれた。子供達には牧之さんから頂いた全7巻を読ませてきた。
魚沼の塩沢辺りの雪国のお話しの他に塚野山や袴沢近辺の渋海川や塚山峠の話もあり精次郎も興味深く読んでいた。

牧之さんの店の手代正三はすっかり偉くなって今では得意先への挨拶で年に2回茶屋の前を通るだけ、その時には必ずお茶と漬物を楽しんでくれたが寂しいもの。
しかし、また新しい五助という若者がいて、これが清次郎と1つ違いで峠を通るたびに仲良くさせてもらっていた。

清次郎は牧之さんの影響か五助から上方や江戸の話を聞くのが好きだった、最近は上方で戦があって長州が薩摩や会津に敗れて逃げていったことなどを聞いた。
その後もいろいろ話を聞いたがそれによると「京で天子様を守っているのが小千谷に陣屋を置く会津藩と柏崎に陣屋を置く桑名藩さ、だからこの街道は何があっても大丈夫。幕府も朝廷も味方さ。あっ、そうそうそこの長岡藩も会津や桑名と一緒に京都で天子様を守っているよ」

小千谷も柏崎も重要な働きをしているらしい。ここ塚野山のあたりは羽前(山形県)上山藩の領地、同じく幕府の重要地の警備をしている、小さな藩だが会津や柏崎の仲間だ。つまり街道においては争いは起きない。

峠は様々な人が通る。

清次郎が居ない時だったが長岡藩の偉い役人が通って行ったらしい。

高柳の山中集落の騒動の解決に行ってきたようで帰りにこの峠を通り茶屋で一服して尋ねたという「この峠はなだらかで良いの、だから車で荷物も運べるの、春は雪融けも早いのか」というので「へえ、ここらで一番早い雪融けですて」と答えておいたよ。なんか知らんがそれを帳面に書いてたよ、不思議なお役人様だったて。長谷川家の人に聞いたら「ああ、あれは家老の河井様らね、長岡藩を改革した偉い人だて。」とのこと。

またある時、店の番をしているとなじみの旅人がやってきて
「また、戦になるかもしれねーぞ」と驚きの話を聞いた。
京では会津藩と桑名藩が幕府と共に朝敵となって薩長土肥などの勢力と戦っているらしい。
ひえ~この街道の両端が朝敵?
と思いつつも幕府側が負けるなどありえない話で、上方からの最新情報とだけとらえていた。
そのすぐ後また別の旅人、小千谷の行商に聞くと
「何でも幕府が負けているらしいぞ。将軍の慶喜様は船で江戸に逃げたらしい。」
と驚愕の話。いったいどうなっているんだ。清次郎には事態が理解できない。

そう言う話をきいて数日後、広田の方から馬と籠の数十人のお侍が通って行った。
途中茶屋で籠の中の人が一休みしてお茶を飲んだ。
お侍さん達は名乗りもせず黙っていたが柏崎の桑名藩の一行だということは家紋を見ればわかった。
後で聞いた事だがお茶を飲んで行ったのはどうやら桑名のお殿様らしい。
西軍への徹底抗戦派と西軍従順派に藩内が割れたが殿様の抗戦派が敗れて、なんと殿様が自分の藩から逃げ出したらしい。本領の桑名から逃げ、柏崎からも逃げたことになる。何と言うことが起きているのか。塚野山から先は解らないが兄がいる会津方面へ向かったのではないかとの事、会津公と桑名公は兄弟らしい。

ある朝、遠くからバンバンという音が聞こえた。
銃声だ。街道を少し外れると柏崎方面が見える峰がある。
「見に行くて」清一郎は母を一人茶屋に残し、峰に様子を見に行った。
着いてみると既に菅沼や袴沢の大人が数人来ていた。
「柏崎け?」
「いいや解らん、見えね。鯨波か米山の方かも知らんで」
「桑名藩は恭順じゃなかったがけ」
「いや、殿様が逃げた後。抗戦派が勝ったらしい」
そうしているうちにドコンと大きな音が聞こえた。
「ありゃ、大砲らろ」

長谷川様の人がいつの間にか来ていてそう言った。
「西軍は豪儀な大砲もっているらしいすけ、ありゃ西軍だて」
「西軍が優勢のがらけ。」
「わからんの、桑名藩も良い武器持っているし」
そのうち煙が上がるのが見えた。
あのあたりは鯨波だの。家が燃やされとる。
撃ち合う音は広範囲になってきたように見える。
「こら大いくさだの」
鉄砲と大砲の音は夕方まで続いた。
やがて一団が柏崎の平野部に逃げてきてさらにこちらに向かっている。
「どうやら桑名が負けたようじゃの」
「これから峠に大勢来るぞ、皆家に帰って気をつけていろよ」
精一郎は急いで茶屋に帰った。

桑名藩は茶屋に見向きもせずに急いで広田峠を越えて塚野山も通り過ぎてどこかに行った。やはり会津方面だろう。

それからすぐに塚野山宿には東軍側の衝鉾隊が大勢宿泊して小千谷方面に向かったらしい。魚沼街道は日に日に物騒になった。
そして今度は会津の兵が塚野山に入り翌朝小千谷との境の薬師峠へ向かい戦った。しかし敗れて再び塚野山に戻ると西軍に利用されぬようにと集落に火をつけて更に敗走していった。戦の習いとはいえ味方した集落に火を放ち数軒が燃えた、お万茶屋からも銃声が聞こえ火事の煙も見えた。

まさに戊辰戦争の真っただ中に魚沼街道は置かれていた。

その後は薬師峠で勝った西軍が塚野山に乗り込んで来たが全戸が戸を開けて迎えたという、周辺の集落も一様にそうしたものと思われる。

渋海川下流で捕まった会津兵が一人首をはねられ塚野山で晒された。

西軍は厳しい裁定を各地で行ったが、越後の民は両軍兵士を敬った。片貝の浄照寺では両軍の兵を弔った。これはかなり勇気と信念が居ることだった。小千谷でも同様だった。親鸞・日蓮ゆかりの越後・佐渡。死者に優しかった。

街道は西軍が兵を要所に兵を置いた。魚沼街道は西軍が制圧した。

お万茶屋では街道周辺に協力を得て広田峠に配置された西軍兵士に飯や水を提供した。

街道中が緊張に包まれていたある日
柏崎の西軍が魚沼街道の二つの峠、広田峠と薬師峠を越える為の人足の供出命令が下りてきた。
新政府初の徴税とも言える、塚野山他三島郡内、そして刈羽郡の小国や北条地域の集落から動員された。(越路町史小国町史北条町史にはその事について、何々村の誰、とか名前が全て記録され、馬などの頭数も記録されている。税としてキチンと記録されたのではないかと思えるが、あの時代において細密に記録される公文書が田舎にもあることに驚きである。)

多くの人足が荷物を運び、山県有朋等長州藩のほか各藩の大勢が通って行った
山県は峠に入る前に北条の佐橋神社に参拝・寄進し、勝利を祈願したらしいという話も聞いた。

「毛利のご先祖様、そして大江広元様、子孫が今度は朝廷に幕府をお返しする戦いで参りました…」

源頼朝と共に幕府を立ち上げたのは毛利家の始祖大江広元である。毛利家は宝治合戦で敗れ一族滅亡の危機にここ越後の佐橋荘で生き残った毛利が西国に渡り毛利元就・今日の長州藩のもとになった。

佐橋は毛利の先祖の地である、神社に寄る寄らないは別としてその地に数百年の時を経て毛利が旧佐橋庄帰ってきたことには変わりはない。行軍する山県有朋、そしてその後に柏崎に入る西軍大将西郷吉之助(隆盛)のも先祖の地越後の強兵に遠い過去を思いめぐらしたのではないか。

西郷吉之助は、会津藩の領地が多く桑名藩領地の半分がある越後、新潟港という貿易港も有り、なお且つ庄内藩の出羽の隣りに位置する越後を戊申戦争の最重要地と考えたはず、薩摩から船で直接柏崎に入った。柏崎に入った西郷吉之助にはもう一つ思い浮べる昔があった。江戸幕府の勝海舟の事である。

ある日お万茶屋に見知らぬ武士がやって来た。「勝家の祖先がこの辺りと聞くが知らぬか?」どうやら幕臣勝海舟の先祖の家を探しに来たようである。
「あの米山検校さんのとこじゃないかい?」

於万は長鳥の按摩が出世して江戸に行って子孫が武士になった話を聞いた事があった。
「この峠をそっちに降りて行くと東長鳥、その付近だと思いますが。…」

武士の家紋は薩摩藩のものであった。何故薩摩が幕臣の祖先の地を探すのか…西郷様と勝様は何か関係があるのか、薩摩の使者は果たして祖先の地にたどり着いたか。

「柏崎に西郷が来ているらしいぞ」清次郎は塚野山で聞いて袴沢の仲間と「すげーな西軍の大将が柏崎だってよ」と驚いていた。

昔で言えば家康様が戦に来たようなもの、越後ってそんなヤバいとこなの?

清次郎と仲間の塚野山や袴沢の若者は興奮して柏崎に西郷を見に行こうかという無謀な冒険話も出たが長岡城落城の報せが来て取りやめた。

長岡周辺の戦は激しくなっていて病院ができた柏崎への往来も激しくなっている。長岡城を東軍が奪還したり再度西軍が落したりと聞いた事が無いような戦いが繰り広げられていた。

ある日、荷車に乗せられた怪我人が通って行った。幾人も付き人が居たので清次郎の印象に残った。

何年も後に知ったことだがそれは西郷の弟吉二郎であり、介護もかなわずに柏崎で亡くなったという。

柏崎に西郷様が居ることで魚沼街道は多くの偉い人たちが行き交った。

やがて長岡周辺の戦が治まると西郷様は船で新潟に行ったらしい。

魚沼街道は元の商いの道に戻った。

魚沼街道、お万茶屋には戊辰戦争の多くの人達が関わっていたのである。

それから与板県が出来たり柏崎県が出来たり、新潟県に落ち着いたり…。

これから僅か30年後には、街道や宿場町には死活の鉄道建設の騒動が始まるのですが、それはまた今度…

 

参考文献:塚野山の歴史ほか

結局AI(人工知能)って何なのよ!が、良く解る「道路舗装損傷」判定の例

AI(人工知能)で仕事が奪われるとか言われていますが、確かに今回の例もそういう事もあるかもですが、それよりも「やらなくてはいけない事が出来ない社会になっている事」の改善等が現実的、今までに無かった仕事を低コストでやる方向のような気がします。

 

新潟県の福田道路技術研究所を見てみます。

新潟県は広く、全国4位の面積を持ち道路も長い、、そして豪雪地域の道路は除雪機で傷みやすい。さらに近年中越地震・中越沖地震と二つの大地震に遭いまだ修復されていない軽症被害の走路も見受けられる。細かいヒビの道路がまだ見られる。

直すかどうか判断しなくてはならない道路が多い。

その後道路以外でも様々な建築物の劣化による事故で定期検査・修復が必要となり法改正もされた。
しかし、検査だけでも手間暇・経費が掛かるのです。
そこでAIの登場です。

この検査の解決方法の記事でがAIの事が良く解るのです。

車から撮影した路面映像をAIで解析、ひび割れやわだち掘れなどの損傷をチェック

ディープラーニング(深層学習)」という技術が活用
自ら判断モデルを生成するので、短期間に高精度で判断ができる。

コストは1/3に、さらに通行止めなども必要なし

財政難で必要な点検に困っている市町村等はこういうAIに救われるのかもです。

詳しくは

【IT風土記】新潟発 舗装道路の損傷をAIで判定 点検コストを大幅削減

 

既存の仕事の変革期にAIが導入される→専門知識を持った人による習得操作がもっとも懸命。

仕事はAIにとられずに新しい仕方として生まれ変わるだけなのです。やり方が変わるのです。

AIはきっとその方向になるでしょう。